やはり本調子ではなかった
昨日書いた文章を読み返してあきれた。
《ところが、中盤を過ぎたあたりから、ヒュ-ズの異様な言動と、自らが呪縛されていく姿がデカプリオという人気役者を通してうまく描いていた。》としていた。本来なら「ヒュ-ズの異様な言動と、自らが呪縛されていく姿をデカプリオという人気役者を通してスコセッシはうまく描いていた。」とするか「ヒュ-ズの異様な言動と、自らが呪縛されていく姿がデカプリオという人気役者を通してうまく描かれていた。」にするべきだろう。こんな初歩的間違いをおかして気にならなかったというのは、体が本調子でなく、おまけに風邪をひき50肩も重なって、気持ちが萎えていたのだろう。
今朝、ベッドのなかで2つ実践した、自律訓練法という自己暗示で、両手両足に暖かさがあるかのように胃のあたりにぬくもりがあるかのように感じるべく自分の身体に暗示をかけること、これは20年ぐらい前に会社の研修で覚えていたが、それをやってみた。
もうひとつは「思い出の規制線」である。昭和46年、万博の余熱がまだ覆っていた大阪の町の思い出のことである。仕事に就いて2年目の私はこの大都会が珍しくてあちこち歩き回っていた。天満から梅田に出て、阪急5の洋服屋やレストランを冷やかして歩いた。休日は神戸三ノ宮に出てカポネというスペイン料理店にも行った。阪急ブレーブスのバルボン選手の店だと聞いた。40年も前の大阪のこと。明け方、この思い出がまざまざと甦ってきた。この思い出を散逸させないために、しっかりつないでおく作業を規制線とした。
昨日にくらべて体がやや楽になったか。しっかり寝汗をかいたのがよかったのかもしれない。立ち上がるときももの憂げにどっこいしょと声をかけなくてはならかった昨夜よりましのようだ。
雨が降っている。春の雨のような細い雨だ。
テレビはチリの地震による津波警報をさかんに流している。
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