いい戦争 悪い戦争
1960年の暮れ、南ベトナム解放戦線が結成された。南北ベトナムの内戦にアメリカが本格的な介入が始る契機となる出来事だ。今年は50年目にあたる。
そのベトナム戦争とは何であったかというドキュメントを作ろうと、現在リサーチしている。私が関心をもつのは、アメリカABCのカメラマンとして活躍した平敷安常さんだ。
去年、著作『キャパになれなかったカメラマン』で大宅賞を受賞している。授賞式で来日したときに一度名刺を交換した。沖縄出身の朴訥な人柄が印象に残った。
平敷さんは現在ニューヨークに住んでいる。ベトナムの女性と結婚し、ベトナム戦後もカメラマンとして世界を駆け回った。あの9.11も撮影している。歴戦のツワモノである。
その彼の著作を熟読している。昨夜もテイクノートして深夜3時まで及んだ。1965年春に、戦火のベトナムに平敷さんは入った。最初はABCの契約カメラマンだったが、半年足らずでその力が見込まれ本雇いになる。ヒラシキ・ヤスツネという名前が呼びづらいと、トニイという愛称で呼ばれるようになる。
アメリカ軍に従軍して戦場を行くトニイ。信じられないほどの激戦に飛び込んでいく。戦闘場面を撮影するニュースはバンバンものと言われて、他のカメラマンからも尊敬されるのだが、そのスタイルに彼はすぐ熟達した。結果として彼に命があったのは幸運としかいいようがないのだが、怯んだりおびえたりしなかったことが死神から彼を守ったのではないか。だが、自分で書いているように、けっして勇敢な精神の持ち主だったわけではない。ただ、カメラマンという職業に忠実であっただけだ。
彼は、幾人ものアメリカ人記者とコンビを組む。そのなかには、後に花形キャスターとなるテッド・コッペルもいた。タカ派、ハト派のさまざまなタイプがあったが、思想で仕事を選ぶようなことを、トニイはしない。記者とは親友になる必要はない、理解しあえればいいのだ、と書いている。
当初から、アメリカ人のジャーナリストの間では、この戦争は「わるい戦争」という言葉がささやかれていたようだ。戦争にいいとか悪いとか評価するのは納得いかないと、トニイは書いているが、第2次大戦はいい戦争、ベトナム戦争は悪い戦争ということだった。このデンでいけば、その後のイラク戦争もアフガニスタン戦争もみな悪い戦争になるのではないだろうか。
ベトナムから遠く離れた日本で知る戦争は、解放戦線は正しくアメリカは帝国主義の悪と考えられていたが、トニイが見た兵士たちはみな祖国の正義を信じて闘っていた。875高地で戦った空挺旅団は同士討ちのような形でかなりの犠牲が出た。生き残った兵士のインタビューをしていて、トニイは泪を流したと告白している。
さて、トニイは膨大な記録を残し、かなりの分量を保存していたからこそ、克明な手記を表すことができたのだが、私が番組のストーリーとして何を捕まえればいいか、現在迷っている。この切り口を見つけて、企画書にまとめる期限があと4日しかない。いささか焦る。他に書き上げなくてはならないものが2つあるのだ。こんなブログを書いている暇などないはずだが、逆にこうして離れてみるのも大事なことである。と、勝手に合理化している。
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