春は来るとも
順調に恢復していることに少し浮かれていたのかもしれない。
今年の冬はひときわ寒さが身にしみるから、春が早く来てほしい、桜を早く見たいと密かに思っていた。昨日の朝、沈丁花の実がまっかになっているのを見て、春はもうすぐと喜んだりしていた。年々歳々花相似たりにばかり心が向かっていた。年々歳々人同じからずという言葉を忘れていた。
だが、よく考えてみると、春は異動の季節でもある。新しい出会いもあるが、新しい別れもある。この年齢になってみると出会える喜びよりもむしろ別れがつらい。
午前5時半、カラスが騒ぎはじめ夜が白みはじめた。ベッドの上で来し方を思い、別れを考えていると、明けにくい夜はますます明けない。
大江さんが贈ってくれた、まだ振り返ることをやめよという三好達治の言葉は理解するものの、還暦を過ぎた者には振り返ることのほうが機会としては多くなる。振り返るなかで、親しい人が私のシーンから去っていくのはせつない。
飛躍するが、高峰秀子という人はこういうセンチメントや名声というものから超然としているそうだ。人生の達人というか、人生のツワモノらしい。映画の盟友であった成瀬巳喜男についてインタビューをさせてほしいという申し出があったときも、「それが、どんな意味があるの」と断ったと、最新の著『高峰秀子の流儀』に書かれてあった。成瀬と高峰の間については、二人が分かっていればいいことであって、別に他人に聞かせる話でもあるまいというのが、高峰の真情らしい。この伊藤一刀斎のような鋭い切れ味を見せつけられると、一言もないが、凡人にはそれほど鮮やかにモノ事を切ることはできない。
昨夜、新しい別れを聞かされて落ち込んだ。体力も衰え気力も薄まれば、現役を降りることもあるだろう。と頭では理解するものの、いっしょに歩いてきた人がいなくなることは淋しい。年寄りだけではない、若い世代もまた同じところに止まらず、新しいステージへと旅立つこともあろう。同朋がひとりまたひとりと離れて行く。エリオットの言葉を思い出す。「四月は最も残酷な月」(April is the cruelest month)
ネットニュースを見たら、立松和平さんが急逝していた。私と同年だ。80年代に何度か番組でご一緒した。最後に会ったのは、6年ほど前に沖縄で「課外授業」をロケしたときだ。仕事を終えて、那覇空港の食堂でスタッフと時間待ちしていたとき、隣にいた。久闊を互いに叙して、再び別れたが、そのときも元気があまりなかった。フィールド派だったから、こんなに早く逝くとは思わなかったと関係者のコメントがあるが、私には彼の死は意外ではなかった。
それほど近い人でもないが、それでも同世代としての死はひとつの別れ。
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