いかにも冬の明るい日の成城
――12時45分に成城の駅を出た。碁盤の目になっている町の通りを規則正しく歩いて、大江宅に向かう。撮影スタッフは局からロケ車でやってくる。現地で合流することになっている。私が着いたのは予定より早かったらしくお宅の前に車はない。少し、時間待ちした。空は晴れ上がり、まぶしいほどの光がそこら中に満ちていた。日向にあれば思ったほど寒くはない。ただ風だけはうなりをあげて吹いていた。人通りの少ない成城の町に羨ましいほどの緑が風に揺れている。時折、小鳥が低空に素早く飛来する。
午後1時15分、大江宅訪問。私にとって7、8年ぶりになるだろう。大江夫人がいつもの柔和な笑顔でむかえていただいた。懐かしさがこみあげる。部屋に入ると、光さんがソファに座って作曲をしていた。10年前とまったく変わらない。口数の少ない光さんだが、久しぶりの私の顔を見て、少し笑みをふくんだ表情で、「こんにちは」と言葉を発してくれた。どんな曲ですかと問うと、恥ずかしそうに譜面を私のほうに押しやって。「冬2」というタイトルがついていた。フラットが6つもある、変ホ短調のピアノ曲らしい。私は譜面がまったく読めないから、理解はここまで。
やがて、渡邊アナを含む撮影クルー6人が到着。夕方6時までの長いロケ撮影が始まることになる。当初は、4時頃で終わるだろうと見通していたが、大江さんの話があまりに面白いので、つい予定が延伸することになったのだ。今回の撮影で驚いたのは、2階の大江さんの兵隊ベッドがある書斎でのインタビューである。本当のプライベートな場面での撮影となった。
12月に『水死』を出版した大江さんは、現在、3月にシカゴ大学で行われるシンポジウムでの講演のための原稿作りに集中している。
大江さんの40年来の友人で、シカゴ大学元教授、テツオ・ナジタのための「日本研究講座」での講演である。ハワイ移民の子孫であるナジタは苦学してシカゴ大学で教授までなり先年定年退職した。その後、彼の名前をつけた講座が15年にわたって設けられ、今年でそれが閉じることになる。その最後の会の記念講演の講師に大江さんが選ばれたのだ。ナジタの研究は、江戸時代後期の大阪で発展した学問所「懐徳堂」。民間道徳と経済学の入り交じったような論文を、大江さんは懸命に読破してその講演に備えていた。いつも一生懸命の人である、大江さんは。
大江家のあちこちの壁面を飾る絵画が気になる。私が出入りしていた頃からあったのは、奥様の父である伊丹万作の静物だけ。後は新しい作品が架かっていた。舟越桂の3人の若者の肖像、司修の光さんの肖像。そして、今回しっかり見た大きな油絵で、「森の中の大江健三郎」、作者はおそらく司修さんだ。深い森のなかで、ライオンや狼に囲まれて切り株を机にして執筆する20代の大江さんが描かれている。200号ぐらいの大きな絵だ。私はすっかり魅了された。
玄関を入ったすぐの壁には、大江さんの師である渡邊一夫のカラフルなレリーフがあった。
こういう撮影となると、一番大変なのは主婦である奥様だ。6人のために幾度もお茶やお菓子の用意をされたりした。5時間にわたる撮影にほっこりされたであろう。夕方6時、すっかり暮れた大江家の門前で、あらためてお礼を申し上げて、わがスタッフは辞去した。
最後に、私の持参した『水死』に大江さんの署名をいただいた。そのときに書き添えられた文言。
「われらは辛抱づよかった
さうしてわれらも年をとった
われらの後に何が残されたか
問ふをやめよ今はまだ
背後を顧みる時ではない
三好達治」
病から生還していささか弱気になっている私を励ましていただいた大江さんに、思わず落涙しそうになる。
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