悲哀の感情
冬の冷たい雨が降る朝に、山道の石垣で出会うと心詰まる光景がある。石垣のつなぎ目から雨が染み出て来る様だ。日頃忘れている喪失感が魂の隙間からこぼれ出て来る様に似ている。
数年に一度、眠りにつく前に過ぎ去った日々を思い出し、その頃に関わった人たちのことを思い出すことがある。いろんな事情が重なって今では遠い人となっていった人たちのことを思い出されてとまらないということがある。もう会うこともあるまいという悲哀の感情が魂という石垣の隙間から染みでてくるのだ。
昨夜も敦賀の知人のことを突然思った。Oさんという、その人とは高校時代に知り合った。私が大学を出て就職する年に、彼女は高校を卒業して神戸のデパートに勤める。2年後、私は神戸の東灘に住んでいる頃再会した。三ノ宮のデパートのエントランスを飾る華やかな女性になっていた。私はその後東京へ転勤になり、彼女は神戸の旧家に嫁いだらしいと、風の噂で聞いた。
それから30年ほど経った。私が地方紙に数回コラムを書いたことがある。それを、彼女は読んで連絡をくれることがあった。
その人は結婚して娘をさずかったが、婚姻を解消して敦賀に戻っていた。一人娘を育てながら働いていた。胸をつかれたのは40代の後半で乳がんを患っていたことだ。健康に不安をもちながら、外語大で学ぶ娘さんの将来を懸命に案じていた。その切羽詰まった思いをひしひしと感じた。
敦賀に戻ったということで、その人の消息は分かっていた。市営アパートに住み、お兄さんが経営する寿司店の手伝いをしていると聞いた。どうやら、私の亡くなった父と同じお茶会にいたこともあるようだ。娘さんの就職の相談にものったことがある。だが、年に1回ほど会うことがあったものの冬のソナタで多忙になった頃から疎遠になった。不景気がその人を取り巻く情況を大きく変えたらしい。どうやら引っ越しをしたらしい。ぷっつり消息も途絶えた。
30代40代の頃だったら、またどこかで会えるさと思えるだろうが、60を過ぎるとそうはいかない。もう会えないのだろうという悲観のほうが大きい。大きな病を経験しているその人は、まだ生きているだろうかとすら考えるようになる。単に、もう会えないというより、自分の人生が閉じられていくという閉塞感につながっているほうが大きい。
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