1月19日(マイバースディ)快晴
昨夜、点滴1本になったので睡眠がかなりとれると期待したが、外れた。
深夜零時以降、1時間毎に排尿で起きた。だから5回ほど目を覚ましたことになる。
そして、6時起床。意外に目がきちんと覚めた。日は明けていなかったが、今朝も青空になるだろうと予感させるような澄み切った大気。
本日、私の誕生日。62歳になる。病院でむかえることになった。
昨夜床について、寝床のなかでふと思った。小津安次郎は60歳の自分の誕生日に死去した。ぴたり六十年の人生であったのだ。60であのような人生を描く作品を50本も製作していたのだと思うと、私は気が滅入った。なんと馬齢を重ねていることだろうか。
去年の夏、母が発病した頃に夢が現か忘れたが、母は年内の命であり私は61歳で死ぬという直感をもった。だいたい、私はそういう勘は働かないほうであるが、実際に母が歳末12月22日の他界したときにはいささかぎょっとした。このデンでいけば、1月の19日の誕生日までに俺も逝くかもしれないなという、強迫観念が深々と刺さった。
正直に言って、昨夜は深夜を越えるまで不安があった。12時までに、術後の異変でも起きてぽっくり逝くのかと思った。日頃、死んでもいいなあなんて言っているくせに、いざ近づいてきたら慌てふためく自分を軽侮し、かつ憐れんだ。
11時45分に排尿を終えてベッドに入って眠りにつくまで、一抹の不安を胸に眠りにつこうとしていた。お笑い種の所業ではあるが、当人はきわめて真面目に悩んでいた。
今朝から食事が始る。絶食を始めて5日目、食事再開にあたって、ナースからいろいろ注意をされる。特に、最初の食事はできるだけゆっくり食べよと指示される。
8時、来た。重湯、味噌スープ、プロティンマックス(メロン味)、ブイクレスベリーズ(ブルーベリーの果糖)。
最初に口にしたのは味噌スープ、味噌汁の具のないものだ。久しぶりに食の香りをとりこむ、やや感動。続いて重湯。味噌スープの鋭い味と違って包容力のあるぬくい味、米の炊き上がる匂いのようなかすかなものがあった。母性の味とでもいうか。風邪をひいたときに母が作ってくれたお粥を思い出していた。
62歳。思えば遠くに来たものだ。お爺さんだ。ついこの間までアイビーだ、テイメンだと騒いで、自分でもガキだと思っていたが、今では29歳と24歳の子どもの父で、定年後を生きている。今も、私が70年代当時の意識を引きずることを可能にさせたのは2004年に出会った「冬ソナ」にちがいない。あのユンさんの作り出した光景は、まさに私の青春風俗と重なるものだったから。いや、いささか違うか。私たちはもっと貧しかったかもしれない。いずれにしても、「冬ソナ」というのが挟まったおかげで、62歳の私にはまだ青春の残滓がある。
午後3時過ぎ、二人の客があった。アナウンス部の岸さんと渡邊さんだ。明20日に、大江さんと打ち合わせをすることになり、その事前の準備をしておきたいと来たのだ。岸さんは「こんな時に申し訳ないのですが」と盛んに恐縮していたが、私のほうで了解をしたのだから気にしなくていい。打ち合わせは予定の1時間を大きく越えて4時半過ぎまで続いた。
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