大切な大伴作品
久しぶりに、大伴さんのお母さんを訪ねた。今年の夏の終わり、母と同じ頃に倒れたこともあって、私は両方に関わっていたのだが、11月頃から母の容態が危うくなり、大伴さんのお母さんは恢復に向かったので、足が遠のいていた。
今日、母の死を告げると、とても悲しそうな顔で私を心配してくれた。1時間ほど話し込んだ。
そのあと、大伴さんのアトリエに入って、久しぶりに内部の点検をした。
いくつか、大事にしていたものが見当たらない。私の勘違いかもしれないと思って、お母さんに聞いたが、部屋を片付けたことはないということ。
やがて、お手伝いさんが来たので、聞いたが、彼女も何も触っていないという。ふしぎだ。
大伴さんの原画の一部がどこかへ紛れ込んだのだろうか。
新年が明けて、私の体のことも決着がついた段階で、再調査をやる。もしかすると、不心得ものが持ち去ったということも考えられるから。もののコピーはすべてとってあるから、行方不明の作品を特定して、盗難届けを出そうと思う。これまでも、中野や秋葉で大伴作品が出たことがあった。大伴さんからもらったとか大伴さんの弟子だったとか称している輩がいるらしい。大伴さんは、自分の原画を他人にあげるということはけっしてしなかった人。当時としては珍しく著作権、原画権の意識をもつ人で、他者に進呈するなどということはありえない。すべての作品に、OHと判こを押すほどの人だ。
大伴さんの最晩年の助手をやっていた人から直接聞いたが、大伴さんは性格からいっても、絶対に弟子という存在をもたなかったそうだ。
大伴作品は、アートだと私は考えている。だから、京都大学に寄託というかたちで研究をお願いしたのだ。
将来、大伴昌司記念館を作りたいと、お母さんとも相談しているので、ぜひ作品の確保は厳重にしておきたいのだ。
先年、大伴さんが手塚治虫から描いてもらった、署名入りの「りぼんの騎士」の画が、あるシナリオ作家のもとにあることが分かった。
これも返還をもとめていくことになるだろう。
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