眠れないままに
2時58分。のそのそと起きてきて、パソコンの前にいる。このところ、時差ぼけでも起きたかのように夜中に目が覚める。
眠れないまま、25日の夜に母の亡骸とともにいた時間を思い出している。前夜式が終わり、会衆がすべて帰ったあと、母のそばに一晩ありたいという弟の要望もあって、亡骸のお守りをすることになり、私も一部分担した。午後8時から10時半過ぎまでのおよそ2時間。敦賀教会の聖堂の薄暗闇のなかで、母と私だけの時間であった。
そこへ、牧師が降りて来て、2、3の会話を交わした。母の闘病をみながら、今回、人間にとっての苦難というのは何かということをつくづく感じたと告げると、牧師は「その問題はヨブ記に関わることですね」とぽつりと言って、一旦、牧師宿舎に戻った。
5分ほどして現れた牧師は一冊の本を手にしていた。敦賀という土地に来て、ロシア正教の人たちと知り合うようになり、その東方教会の考え方に深く影響を今受けていますと語りながら、青い表紙の『私たちはどのように救われるのか』(日本ハリストス教会編)のその本を貸してくれた。東方教会の教えのなかに、「考えてはならないこともある」。その意味は深いのではないでしょうかと、牧師はぽつんと言って去った。
独り、会堂のなかの薄暗闇なかで、その薄い冊子を読んだ。
ヘロドトスの紹介しているソロンという異教徒をとりあげている。「その人が死ぬまでは、彼は幸せだとは言ってはならない」
なぜならばとして、エジプトの聖人アントニウスの言葉をその後ろにつなげてある。
「最後の息をひきとるその時まで誘惑の可能性があることを忘れてはならない」
――なぜ、私がこんなめに遭わなくてはならないのだろうか、というヨブに代表される人間の苦難。そこに襲ってくる「誘惑」。
番組を制作して30年。私はあまりに昼間のことばかり考えて来た。夜の問題を後回しにしてきた。ようやく、そこを考える時間が与えられたのであろうか。苦難、誘惑、背信、そして死ということ。
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