ぽつねんと
25日、前夜式、26日に葬式と続けてきて、本日の日曜日にお世話になった敦賀教会の聖日礼拝に出て、信徒のみなさんに、母の葬儀にご協力いただいたお礼を述べた。
その後、無住となる実家の整理を兄弟3家族で行い、3男一家、私の一家、次男の一家と順に帰途につく。私は、一応長男であり喪主なので、
この家の最後の夜を一人で過ごすことになり、今、無人の家にぽつねんといる。
小津の「東京物語」ではないが、葬式の間はバタバタと人が出入りしていたのに、夕方になって、みなが帰っていき座敷に座っていると、なんだか底が抜けたようで不思議な感じがする。これから当分、この家に来られないと思うと、母の短歌の整理でもするかと引き出しをあけた。そこには、母の大事にしていたものが入っている。
ビデオテープのパッケージがある。見ると、「冬のソナタ」の第10集で、最後の18話、19話、20話の収載された巻だ。ほかの1から9集まではどこか他の場所に置いているのだろうが、母はこの10集を繰り返し視聴していたことが分かった。
少しだけ嬉しいというか、ようやるよと、母をからかいたい気分になった。
母の短歌を整理した。
平成20年2月11日の歌
はるかなる比叡の山を木の間より見つつ浮かぶはふるさとの家並
円通寺にてとある。
母のふるさと大津は比叡からは一望だ。円通寺まで行って、つい故郷ごころが出たのだろう。どうやら、このときは久しぶりに京都に出かけたらしい。同日の歌に永観堂を詠んでいるのがある。
やすらぎのみかえり阿弥陀の存しますこころ澄みゆく永観堂に
その生家も今では人の手にわたっていた。
幼き日育ちし家を訪ひ来れば見知らぬ人の住みゐて侘びし
唱歌の「故郷の廃家」と同じモチーフだが、母の心が分かるような気がする。
だが、肺がんで母を失った今、次のような歌の日々があったと思うと、言葉を失う。
「良性です」その一言に帰り来つ雪解け道も感謝に溢れて
このとき、母はどんなに嬉しかったことだろうか。
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