たとえ吾死のかげの谷を歩むとも
母の信仰について思う。17歳のときに五条坂の教会で出会って以来67年間、母は信仰を捨てることなくきた。その母に引かれて、父も信仰をもった。
父の場合、晩年は仏教の教えにひかれたようなところもあったが、母の信仰は変わらない。
その証のようにして、「信徒の友」の歌壇に自分の信仰の歌を投稿した。素朴な言葉づかいは根っこに石川啄木を措いていたからだろう。
私も幼い頃から教会に連れていかれて、礼拝に出ることが多かった。そのときに覚えたのが詩篇のダビデの歌だ。今でも、口の端からこぼれることがある。
たとえ吾死のかげの谷を歩むとも、災いを怖れじ
山陰の細いそば道を、独りとぼとぼと歩いている姿が浮かんで来る。日の暮れのさみしい谷に、夕風がしだいに冷たさを増す。それでも唇を噛んで前を見て歩いている。
この詩の後半を忘れていたが、今、ネットで検索して思い出した。
たとえ我 死の陰の谷を歩むとも 災禍(わざわい)をおそれじ
なんじ我と共にいませばなり
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