定年再出発 |
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大津・上平蔵町
母の実家は大津の上平蔵町にあった。江戸時代は大津100ヶ町の1つで、幕府領。町名は天文14年船奉行早崎平蔵が居住していたことに由来する(大津市志)とある。いい名前だったが昭和40年に町名変更されて消えた。今は中央町とかいうらしい。 祖父の商売がうまくいかず、 母の一家は戦時中にここへ移ってきた。その前は上町のほうで手広くやっていたらしい。平野神社の氏子であって、祖父は氏子総代を務めたこともあると、あまり自慢しない母が唯一誇らしげに語ったことがある。私は昭和23年に上平蔵町で生まれた。祖父にとって初孫だった。 母は4男3女の7人兄弟の長女であった。上3人が男で、初めての女子だったから祖父源次郎は母を可愛がった。どこへ行くのも連れていった。羽振りのいい宮大工の頭領だったからお茶屋の遊びも多かった。浜大津から逢坂山を越えて京阪で三条へ出れば、すぐ側に祇園があった。何かのお祝いで、祖父は母を連れて京都へ出た。お開きとなって、市電に乗って京都駅へ。そこで切符を買って電車に乗り込む。したたか酔っている祖父は座席につくとすぐ爆睡した。 普段であれば、進行方向左に鴨川が見え、やがて山科の山中に入る。ところが川もなく山は遠く離れた所に夕闇のなかにかすんでいた。学校へまだ上がってもいない幼い母には不安があるものの口に出せない。祖父は眠り込んでいていっこうに起きそうもない。そのまま列車に乗り続けた。大きな駅でたくさんの人が乗り降りしたから、おそらく大阪だったろう。そこも離れて電車は大きな川を渡り、しばらくすると山々が迫ってきて、家々の灯りがあちこちに灯った。母は異国にでも連れて行かれるとおびえて祖父を揺り動かして起こした。眼をこすりながら窓外をながめた祖父は間抜けた声で「ありゃあ、電車は神戸の町を走っている。何としたことかい」汽車の旅に出るときは、母はいつも此の話をした。 2つめのトラウマを経験したのも同じ年頃のことだった。夕暮れに遊んでいたら、見知らぬ男の人が声をかけてきた。ちょっと案内してあげようと言われて、その人に母はついて行った。隣町の繁華街を歩いていたとき、近所の人と出会って声をかけられた。「美代ちゃん、どこへ行くの」。どこへ行くかは分からないが、このおじさんといっしょのとこ、と答えた。それからどうなったかは詳しく話さなかったが、母はいつも、あのとき近所の人が声をかけてくれなかったら、今頃私はどこかへ売られていたわとさも怖そうに話した。「あれはひとさらいやったんやで。真っ赤な大きな夕焼けで、私もぼーっとなっていたんやわ」 3つめのトラウマは前にも書いたが、小学校の遠足のときだ。牧場へ行って弁当を食べたときのことだ。牛肉のしぐれ煮を口に頬張ったときだ。友だちが「美代ちゃん、あんたの食べているものは後ろのあれやで」と指差した。母が振り向くと、牧場の柵から顔を出した牛が大きな口をあけて長い舌からよだれを垂らしていた。途端、食べているものがおぞましくなり、吐き気を催す。以来、母は肉類を口にすることがなくなった。 明け方、眠れないまま、母の語ったことを思い出す。京なまりが残る言葉づかいの人だった。なにげに聞いていたのだが、こうして想起するところをみると、私のなかにも母のトラウマが擦り傷程度には残ったらしい。 母の兄たち3人はみな戦場に行った。長兄の徳太郎は中国戦線へ、次兄の新太郎は南方戦線からフィリピンへ、三兄の源三郎の戦地は聞き忘れたが師範学校を出ていたから将校として白兵戦で傷つきながら指揮をとっていたと聞かされた。次兄は終戦のときに玉砕するとフィリピンの山中に消えて、その後行方知らずとなった。次兄は、高野山の部隊碑に名前を刻まれている。 墓碑銘の空挺隊の文字うすく合祀さる兄は木洩れ日の中 長兄のことを、母は戦後50年にして初めて歌にした。 大陸へと大き手を振り船出せり君を見送りしも今もまなうらに 戦時中、母は大津にあった飛行学校に事務員として働いた。そこで学んでいたのは母と同年輩の若者だった。 少年兵と召されて逝きし友偲ぶ空に流るる一筋の飛行雲に こうして振り返ると、大正15年に生まれた母の前半生は戦争へと向かう日本とともにあったのか。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2009-12-13 08:53
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