漱石忌の寒い朝
「ショーシャンクの空に」を名作100円というレンタルシステムで借りて見た。1994年製作された当時、私はスェーデンへ向かう夜間飛行の途次この映画を見ている。が、ノーベル賞の大事件に心奪われていたから、きちんと見ていない。なんとなく脱獄の物語というぐらいの印象しかない。
その後、いろいろな映画批評にそのタイトルが散見されるようになっていく。気にはなっていたが、一度見た映画に490円を払うのは口惜しいというつまらない理由で、見る機会を失していた。が、名作100円のなかに本作を見出し、昨夜借りることが出来たので、見た。よかった。
映画もよかったが、なによりよかったのは、DVDの特典映像だ。監督フランク・ダラボンの自己解説が実によかった。
「物語を描くのに不適切な方法というものはなく、いいと思ったらどんな方法を使ってもいいのだ。」
ドキュメンタリーもそうだ。これといったルールやセオリーがあるわけでない。表現できる手法があれば何でも使う。ただし、すべて責任は作者にあるということを念頭に置いて。
「問題は編集室ですべて解決する。」
黑澤も言っている。「編集するために、撮影をするのだ」と。編集というのは、はまると夢中になる。が、繋げないときは地獄となる。
「観客が音楽に気づいた時には感情移入してほしいところへ来ている。バレバレだと見ている人も興ざめしてしまうから。感情を操作されてると感じたら、観客はそれを不愉快に思うはずだ。だけど巧妙にやったら、むしろ喜んでだれでも物語に浸ってくれる。」
映像における音楽とは、ワインで味付けした肉料理のようなものだ。味わいのベースはワインが作ってくれる。
監督の語録で気になるものはもっとある。この人は脚本家から監督に転進したので、映画作りを意識的に行っている。だから、部外者にも納得のいく説明をほどこすことができる。その説明が実に明快なのだ。いい映画は直感や感情で作られるのでなく、きわめて主知的に作られるという好例をダラボン監督は示してくれた。でも、監督自身はこんな言葉を発してもいる。
「監督をやっているなかで実感するのは、頼れるものが何もないということだ。自分の直感しかない。」
なんとなく、この映画と解説と出会えたことが、得をした気分となった。
さらに、眠れないまま、村上春樹の短編集を読む。「7番目の男」と「品川の猿」。これも当たりだった。実に鮮やかな手際のいい佳品だった。特に、「7番目の男」が素敵だ。村上の作品には故郷を離れて都会で暮らすという設定が多い。村上自身もそうであるが、私もそういう身であるだけに、そこにある故郷追慕の念には共感する。2つめの得をした気分である。
余談だが、先日、根津で酒を飲んだK君は神戸出身で、高校時代に村上の父上から現代国語を習ったと言って自慢していた。謹厳な先生だったと懐かしげに語っていた。寒くなった今日は、漱石忌。
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