いつの日か大人になれば
明け方にトイレから戻って再寝(またね)をした。ぬくい布団のなかで見た夢は、最近の状況を忘れさせるような甘美なものであった。この夢の絵解きをすれば夢の魅力が台無しになる。と分かっていても書いておかずにいられない。
ある女性作家の自宅にロケで戻って、その家で私が8ミリ撮影機の操作しながら映像をチェックしている。それまで取材で歩いて来た出来事が3巻のロールになっていて、現像もしていないのに、映像を試写している。2巻はうまく撮影できていたが、3巻めがうまく見ることができない。四苦八苦している。ロケにいっしょに行ったディレクターやスタッフたちは作家宅の応接間でわいわい騒いでいるが、私は離れて独りで映像のチェックに夢中になっている。
ふと気がつくと、騒がしい声もなくなっている。私は仲間を探しに応接間のほうへ戻り、「Sさん、Sさん」と声をかけるが返事がない。
作家の姿もない。
そこへ玄関の戸を開けて、作家が帰って来る。「今、みんな帰ったわよ」と楽しげに語る。
置いてけぼりをくったはずの私だが、腹は立たない。
あなたの肩先にひらひらこぼれてる、というフレーズが流れて来る。ランチャーズの「真冬の帰り道」の一節だ。
あなたがいつの日かおとなになれば、この歌の言葉が脳裏に染み付いていく。
目が覚めた。まだ頭のなかで「あなたがいつの日かおとなになれば」と流れている。
なぜか心地よい。久しぶりに気持ちよく眠ったという実感がある。久しく感じていない多幸感がよみがえる。
なぜ1968年の頃のカレッジソングを思い出したのだろうか。考えてみると、昨日の朝の渋谷駅前の交差点でオーロラビジョンから流れて来る歌がきっかけだったなと分かった。駅からツタヤに向かって右、三千里薬品のビルの大画面から、「野薔薇咲いてる」というメロディが流れてきた気がした。ええ、あんな古いマイナーな曲がこんなところで聞こえるはずがない。空耳だ。
交差点を渡りながら、また聞こえて来た。「野薔薇咲いてる、山道を、ひとりで歩いていた」
女の声だ。画面を振り向くと、「新発売、松たか子のアルバム」とあった。
合点した。
歌は彼女の父、市川染五郎(現・松本幸四郎)の作詞作曲したカレッジフォークだったから。彼女は父の若い日に作った曲を歌っていたのだ。
なにか、学生時代に着ていた古着であるダッフルコートを子供が格好いいといって、着てくれているような気分がした。
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