憩いなき波
木枯らしが吹き冷たい雨の日がこのところ続いた。
いろいろ心痛める日々が続き、このブログになかなか向き合うことができなかった。
三谷隆正の『幸福論』をかたときも離さず、人の世について考えることが多かった。
「幸福とは何か」を問う優れた法哲学者である三谷は信仰篤いキリスト者でもある。
この文庫本を手にとり目次を目にして、すぐ購入した。その目次には――
第3章苦難と人生、第5章不幸の原因というのがあったのだ。
第3章の最初の節、「嫉む神」には深甚なものを感じた。
「神はその愛し給う者にたいして一層嫉みふかくありたまうようである」
パウロも苦しみ親鸞ももがくことになった不幸。その姿が人生の黄昏になった頃に見えてくるという、この愚かしさ。自分の不明を恥じるばかりだ。
一昨日若い友人に不幸が発生した。思ってもみない出来事で私も驚きで胸が衝かれた。案じたが、親切な別の友人の適切な忠告でいまのところやや心安らぐことができた。こんなふうに、次々といろいろなことが襲ってくるが、一方それなりの慰めも用意されてあったりして、その人生模様はまだらというか憩いなき波のようである。
昨夜、根津で作家のMさんと同僚のKくんと3人で食事をした。根津はMさんのフランチャイズである。はん亭という江戸以来の有名な料亭のそばにある居酒屋で、あぐらをかきながら銀だらの煮付けなどを口にしながら熱燗を飲んだ。
Mさんは晩年の須賀敦子と深く付き合うことが多かった。彼女が亡くなったとき、「世界わが心の旅」でイタリア、須賀敦子の旅をしませんかと、声をかけたことがあったのだ。その旅は叶わなかったが、カフカの恋人ミレナの足跡を追う旅をしていただいた。それが10年前のことである。以来、ずっとご無沙汰していた。
一昨年、「闘う三味線」が総務大臣賞を受賞した。そのときの選考委員にMさんがいた。後で聞いたのだが、この番組を過分なまでに褒めていただいたということである。
20年前に私の部下であったKくんがMさんと親しい仲であることを知ったのは、最近のことだ。Mさんの著作のあとがきに彼の名前が出てきたのだ。そこでKくんに仲介してもらって、久闊を叙すことになったのだ。
Mさんは近年難病と闘う身となったのだが、それにもめげず女性史の研究、地域の活動を精力的に続けている。そういう話題やKくんが関わっている派遣村のことなど。話題は尽きることがなかった。会がお開きになったのは10時近かった。最近、こんな遅くまで酒を飲むことがなかった。車で東大前まで同乗し、そこで別れた。
地下鉄南北線に揺られて帰った。
夜中に、目覚めてまた『幸福論』を読んだ。一語一語が心に響いた。あとがきで、武田清子が三谷の人生を紹介していて、彼の苦難に満ちた人生を知れば、さらに彼が刻んだ言葉の重さは千鈞となった。
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