ふるさとよ
敦賀が少しずつ遠ざかっていく。
寒さが加速していく明け方、寝床のなかでふるさとを思っていた。来年の春、京都へ行った帰りに立ち寄ることができるだろうか。もはや、あの町には帰っていくこともなくなるのではないか。
目を閉じて、野坂山を白砂青松の松原を思う。行けなくなったと分かったときにふるさとは急にやさしい顔で呼びかけてくる。
去りてのちおもかげに立つ敦賀かな、の心境。
ふるさとには、父と母の匂いや息づかいがある。少しずつ薄れていく。
室生犀星はどんな心境で「ふるさと」を残したのだろうか。世にはばかって生きていくことを決めたときからか。名声と富を得たとしても、馬込の庭の前栽がきちんとそろったとしても、満たされないものがあったというのか。
それとも、掴んだものが多くなればなるほど、手から逃げていったものの感触が甚だしくなったとでもいうのか。
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