本郷めぐり
久しぶりにマンガの歴史をたどってきた。本郷4丁目にある文京ふるさと歴史館に講談社のTさんと見学に行ってきたのだ。
ふるさと歴史館は地下鉄の3丁目駅から徒歩で10分ほどのところにある、こじんまりとした博物館。平日の夕方ということで館内には人影もなくゆっくり見ることができた。
特別展として「実録!”漫画少年”誌―昭和の名編集者・加藤謙一伝―」が開かれている。加藤はこの文京区に住んでいたこともあって文京区縁の人物だ。
加藤は戦前講談社の名雑誌「少年倶楽部」を担当し当時の少年雑誌の売り上げ一位を築いたことが知られている。戦後は公職追放という憂き目をみることとなり、個人で「学童社」という出版社を起こし、「漫画少年」を発行した。この雑誌は当時の全国の漫画少年たちの憧れの投稿雑誌となり、ここから寺田ヒロオや藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫らあのトキワ荘グループが輩出するのだ。この投稿少年たちが憧れたのが、この雑誌に連載されていた手塚治虫の「ジャングル大帝」である。
この原稿をもって上京した手塚は、ひょんなことから加藤に見せることになったのがきっかけで連載が始まった。当時、大阪にいた手塚が東京にも住まいを持ちたいと考えた。そこで加藤の長男が住む新築なったばかりのトキワ荘が斡旋される。これを嚆矢としてトキワ荘の漫画家たちが続くことになる。
陳列してある物品はそれほど多くない。だが、当時学童社の事務所も兼ねていた加藤の本郷弓町の自宅の間取りや、本誌に連載された「ジャングル大帝」「2級天使」(石ノ森章太郎)の原画など貴重な情報もある。
日本の出版はほとんど東京に集中している。千代田区の神田神保町が有名だが、そもそもは文京区から盛んになったようだ。ここには江戸時代の頃紙すきの技術が発達していて、明治以降、印刷、製本など印刷の町と発展したそうだ。区内で最大手は音羽にある講談社。
加藤の個人で作った学童社は次第に経営が悪化。公職追放処分を解除されたこともあって謙一は、長男に譲り、野間省一社長のたっての意向により講談社への復帰を果たすことになる。 編集の業務からは離れたものの、後進の指導や、戦前の『少年倶楽部』の復刻版の出版に携わっていく。この加藤に相談に行ったのが、少年マガジン3代目編集長、内田勝さんだ。内田さんから、この加藤謙一のひととなりについて懐かしそうに語るのを、私は聞いたことがある。
この歴史館で、豊島区郷土資料館の展示のちらしを得た。ちょうど同じ時期に開かれている「トキワ荘のヒーローたち~マンがにかけた青春」企画である。これも面白そうだ。赤塚不二夫がトキワ荘を出たあとに暮らした「紫雲荘」の部屋も特別公開されるとある。
見学を終えたあと、Tさんと焼き鳥屋でちょっと懇談。情報の交換である。ちばてつや、梶原一騎さんたちの作品に関する情報をいろいろ教えていただいた。Tさんは現在著作権などを担当しているが、元来はちばさん付きの有能な編集者でもあった人だ。そのTさんが他社の作家だが鳥山明という漫画家を高く評価していることを知って、少し興味が湧いた。
Tさんと別れて、東大の赤門をくぐった。日が暮れた三四郎池を見て、医学部のトイレを拝借。本郷通りをぶらぶら歩いて古書店に入る。芝木好子の『雪舞い』を入手。新潮社の立派な単行本がわずか500円。得をした気になる。
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