有明の天才
台風の影響を受けた嵐のなか、臨海線の国際展示場まで行った。駅を降り立つと雨と風がひどいのでタクシーでお目当てのマンションまで行く。ワンメーターだが歩いていたらずぶ濡れになっただろう。嵐の新開地は荒涼としている。
その高級マンションは33階立て。部屋にたどり着くまでに4つのセキュリティチェックを受けなくてはならない。迷路のような構造をすり抜けて狭い(わざとそうしているようだ)エレベーターに乗り継いで33階の最上階に出た。そこに取材をお願いしていた清元梅吉さんが待っていた。70半ばと思われるが、朱色のヨットパーカを着て細身のジーンズをはいたお洒落なスタイルで、にこにこ笑いかけながら立っていた。伝説の人と聞いていたので、手ごわい人を想像していたから拍子抜けした。
来年の夏に、清元の大きな演奏会が開かれる。邦楽の世界では大事件と噂されている。その出来事の中心人物のひとりが清元梅吉さん。
梅吉さんは清元梅派の家元。幼少期より祖父から三味線の厳しい教えを受け、早くから天才少年と呼ばれた。解釈に優れた演奏には定評があり、舞踊家西川鯉三郎には「梅吉さんは憎らしいほど上手い」と絶賛された、と物の本には記載されている。「現在でも他流の演奏家から神格化されるほど尊敬を集め、その音色に憧れる後輩も多い。」とも書かれている。清元三味線、至芸の持ち主である。
こんな経歴の人物は、きっと瀟酒な数寄屋造りの家にでも住んで、普段から着物姿で暮らしているのだろうと勝手に想像していた。口数の少ない苦虫をつぶしたような怖い人と予断をもっていたから、現実の師匠のモダンな姿に拍子抜けしたのだ。
「譜面どおりに弾けばいいのです」。演奏するときの心構えを私が尋ねたときの、梅吉さんの答えだ。最近、清元の唄の詞の意味を分からないと弾けないという人がいるが、そんなことは関係ない。さびしい曲は、さびしいように作曲されているのだから、弾いていけば自然と淋しくなるもの。その詞の意味が分かったからといって淋しくなるもんじゃありません。これが梅吉さんの信念だ。天才の異名をとった人の言葉はシンプルだ。
練習はこの高層マンションではしない。稽古場でやる。のべつまくなしに三味線の練習をしていても駄目。めりはりが必要だと考えている。
ところが、師匠が54歳の頃、三味線方の職業病ともいえる腱鞘炎になりかけて医師から「演奏の機会を間引くように」と助言されたことがある。以来、練習、演奏の機会は著しく減少したと思われる。家で練習なんてやりませんというのは、師匠の照れかもしれない。
なぜ高層ビルに住むかというと、40年前に渡米公演してアメリカに触れたときから、「アメリカかぶれ」になったからだそうだ。たしかにそのビルから見る風景は日本ではない。お台場、ベイブリッジ、羽田、の湾岸の風景はまるでブルックリンのようだ。
趣味はなんですか。「賭け事。年に1回かならずラスベガスへ行きます。実はあさってから行くのですよ」と悪戯小僧のような表情になって、師匠は答えた。
俄然、この人物に興味が湧いてきた。不思議な人だ。ヒューマンドキュメントの主人公に相応しい人だ。
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