音響効果
朝、駅で顔なじみのディレクターと会い、昨夜の「須賀敦子」の番組をめぐって意見を交換した。私は番組に不満だった。彼女の全人生を60分で描くのは詰め込み過ぎだと感じた。イタリアでの須賀の神話的時代を描くか、失意の帰国後の迷いのなかから再生していった時期を描くか、焦点をしぼりこんだほうがいいと思うと、その人に話した。
よほど勢い込んで私は語ったのだろう。その人も大筋において異論はないが、そこまで言わなくてもいいのではと表情をした。乏しい予算のなかでよく頑張っているとポジティブに番組を捉えていた。なるほど、「武士の情」だ。
教育テレビの番組費では海外取材など叶う話ではない。これまでのアーカイブス映像をいろいろ継ぎ合わせてイタリアシーンを作り上げる努力をしていたのは分かる。というのは、私がロケしたアッシジやラベルナの映像がいくつか出てきたから、台所は火の車だろうと察していた。
二人とも共通した感想は、番組のなかでの音響処理の不具合のことだ。選曲があっていない。音の出るタイミングが鈍い。須賀敦子の美しい文章の朗読がいくつも登場するが、心に沁みこんで行かないという不満が残った。その人も同じ意見だった。音響、特に音楽の扱いは難しい。悲しいときに悲しい曲、楽しいときに弾む曲というふうにはならない。黑澤明のコントラプンクト(対位法)ではないが、その逆を狙う方法だってあるのだ。
実は、今から603スタジオで音響作業が始る。「宮崎駿・養老孟司対話」の音楽とナレーション録音だ。この対話という地味な映像をどう賦活させていくか、音響の役割が大切になってくる。人のことを批判しているだけではすまない。自分もそのセンスが問われる。
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