片手では
戸板康二の句。
片手では持てぬ字引や冬ごもり
この句をこれまでずっと辞書の嵩張ったこととしてばかり考えてきた。例えば広辞苑のような持ち重なりするような大部の辞書を想像していた。
だが、今朝目にして違う感慨をもった。還暦を越えて読めば、これは辞書のことにあらず、わが身のことを指すのだということを思い知るのである。
この句は今の私には実感だ。
かれこれ3月にはなるだろうか、左肩が張り左腕があがらなくなったのは。俗にいう四十肩五十肩であろう。タケ先生にもこればかりは時間が来ないと治らないと匙を投げられた。むろん、軽減する処置はしてくれるのだが、根治はしないのだ。
腕を上げる。ほぼ水平になる角度を越えると痛みが出る。左手で頭の後ろや背中をかこうとすると鋭い痛みとなる。
腕の角度だけではない。重いものを左手ひとつで持とうとすると、たちまち痛みが走るのだ。まさに戸板の句のありさまだ。
老化の現れだろう。昨夜も風呂上りに鏡を見て、目の下の皺が深くなっていることに気がついた。
そういえば視力も落ちている。老眼鏡に1年前替えたが、もう合わなくなっている。細かい字を読んでいるとかすんでくる。一番不便なのは類語辞典の索引が読めないことだ。119cと書いてあるのか117eとあるのか区別がつきにくい。
小津は60歳の誕生日に死んだ。老成した作品をたくさん残したが耄碌老残を描くことは少なかった。いささか彼より有利なのはこれから否が応でも老いさらばえていくさまを目にし実感していくことであり、そのさまを映像化する機会もあるかもしれないということ。
昨日、加藤和彦が首をくくった。テレビニュースでちらっと見たが、62歳と報じている。私と一つしかかわらなかったのか。デビューが早かったからてっきり65にはなっていると思ったが。
だがしかし、太宰治は39歳で死んでいる。長く生きるだけが能じゃない。
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