定年再出発 |
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アンコール放送を見終えて
本日、午後1時半から「斜陽への旅」の再放送があった。10月4日に放送したところ160件を超える再放送希望があったということで、すぐに衛星第2放送でアンコール放送となったのだ。 反響のなかには50代の人が書いたこんな手紙があった。「私は太宰治の作品をほとんど読みました。若い時代、むさぼるように読み、自ら社会の悲しみや己のもろさに陶酔していました。あれから幾(いく)星霜(せいそう)、激しい現実社会と向き合わざるを得ない中で、私の心から太宰はすっかり影を潜めていましたが、この年代になり、出会える太宰がいるのではないかと思っています。また、本を紐解いてみたいという気になりました。」 この番組を見ていて、不思議な運命を感じた人もいた。「太宰治の新しい側面を見せてくれて非常に興味深かったです。太田静子が書いたものが『斜陽』のベースになっていることも初めて知ったし、その赤ん坊が作家になっていることに不思議さを感じました。」 番組も好評だったところで、とりあえず、この番組にまつわる事実や出来事を整理しておこうという気になった。 昭和20年、7月。三鷹で空襲に遭い、さらに甲府でも戦火にあった太宰治は家族を連れて津軽へ疎開する。敗戦までわずか一ト月前のことである。もどった金木の実家では無聊をかこち、執筆か読書かの日々となる。そこで、書架からチェーホフの『桜の園』を見つけ、むさぼり読むこととなる。『桜の園』は没落貴族の物語である。 敗色が濃くなり、太宰は戦争が終わったあとのことを思い描くようになっていた。支配階級である地主たちは戦後きっと追い詰められ、ギロチンに架けられることにもなるのではないかと、津軽の弟子たちにもらしている。ギロチンは極端としても没落の徒というコンセプトが太宰のなかで広がっていた。 戦争が終り、その年の暮れに太田静子の母が病死した。その報告を静子は津軽の太宰にしたことから二人の文通が始る。それぞれ5通、計10通の会話が交わされる。太宰の5通は静子が大切に保管したため、今回の番組でも実物を撮影することができた。静子の手紙は失われているが、その内容は、静子の著書、「あはれわが歌」に書かれて残されていた。 太宰の手紙が意外なぐらい凡庸に比べて、静子の手紙はきらきらと輝いている。静子の2通目の手紙は大胆不敵にしていじらしい。 《しばらくご無沙汰申し上げておりましたが、その後、お変わりなくお過ごしでいらっしゃいますか。売るもののいよいよなくなり、私もこれまでのような生活をつづけることは出来なくなりましたので、それでこれからの私の生きてゆく道を3つ考へました。 ①私より若い作家と結婚して、マンスフィールドのように、小説を書いて生きてゆく生活 ②私をもらってやろうとおっしゃっる方のところへ再婚して、文学なんか忘れてしまって主婦として暮らす生活 ③それから名実ともMCさまの愛人として暮らす生活。この3つのうち、一つを選んですすみたいと存じます。この3つのうち、どの道が一番よろしいでしょうか?MCさまに尋ねてみて下さいませ。 太宰治様 、私の作家マイ・チェーホフ・MC。》 東大の小森陽一教授も、この静子の言葉による勝負を高く評価しているが、その表現においても、静子の並々ならぬ才能が見てとれる。 名宛のMCはマイ・チェーホフの略。太宰治様イコール私の作家。私の作家イコールマイ・チェーホフ。マイ・チェーホフイコールMC。つまりMCイコール太宰治様だ。その本人に向かって書いている手紙のなかで、静子はMCが第三者のような振りをして太宰の真意を問うのだ。この芝居じみた文章作法に、太宰は面白がらずにいられない。 後に、太宰が「斜陽」を書き上げたとき、最終場面で主人公のかず子の手紙を導入する。これは太宰のオリジナルである。その手紙の末尾の名宛にMCとあって、括弧してマイ・コメディアンと振ってあるのを発見したとき、私は太宰の洒脱な精神に驚愕した。太宰は静子に向かって、私はピエロだよとおどけて答えたのだ。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2009-10-17 19:24
| 斜陽を考える
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Comments(1)
はじめまして!
アンコール放送を拝見しました。 「斜陽」は大好きで何度も読んでいます。 太宰治は私にとっては「斜陽」の作者として好きな作家でした。 しかし、放送を見て、「斜陽日記」の存在を初めて知り、私が好きだったのは太田静子の文章だったのだと気づきました。 才能あふれ、真っ直ぐに太宰に向き合っていた静子に対し、太宰の方は自分に都合良く静子を利用したようにも見えます。 でも、MC様の一件を知り、やはり、太宰治は一枚上手、静子には太刀打ちできない相手だったのだと思いました。 斜陽の子と言われ育った太田治子さんが今回初めて斜陽館に入れたこと、一区切りついた様なスッキリしたお顔をされていたのが印象的でした。 斜陽日記と太田治子さんの最新作も読んでみようと思います。 素敵な番組をありがとうございました。
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