生姜
昨日の午前中のことだ。ここ2、3日たまった伝票を整理していた。先月からの京都ロケや斜陽の旅の編集費などである。経理に回すための、パソコンへの打ち込みをしなくてはならない。私はこれが苦手だ。まず、経理システムにログインするときに、関門が3つほどあって、パスワードが必要となる。パスワードは3ヶ月に一度には変更になるので、どれを使っていたか忘れてしまいいつも立ち往生する。昔だったら伝票に判を押して事由を記すというたかだか3分ほどの作業が30分以上かかるのだ。これが嫌でついつい伝票が溜まってしまう。
雑誌の「サライ」が隣席にあったので、手にとってぱらぱら読みながら、打ち込みをやっていた。あるページで、生の姜さんのことが記事になっているとちらりと眼に入ったので、慌ててそのページまでもどった。姜さんとは東大教授の姜尚中さんのことだ。最近、テレビ、新聞でよく見かける。今年から「日曜美術館」の司会まで担当するようになっていたから、てっきり美術記事のなかに姜さんの生の姿でも書かれてあるのだろうと思い込んで、ページを開いた。
記事は生姜のことだった。寒くなってくると、汁物に少し生姜を加えると体が暖まるという内容。これを、生の姜さんと私は一瞬認知したようだ。迂闊さに思わず笑った。誰かに見られたら恥ずかしいと思って回りを見渡したが、誰も気づいていない。まあ、ひとりで読んでいる雑誌のことだから、他の人には判らないはずだが、なんとなく極りが悪かった。
姜さんのことはよく間違える。「冬のソナタ」を担当していたころ、チュンサンの本名カンジュンサンを、カンサンジュンと言い間違えることがしばしばあった。冬ソナがまだブレイクする前のことであったし、その前年に姜さんの「課外授業」の番組を制作したばかりだったので、その印象がつよかったのだ。
そういえば、この授業で姜さんの熊本の母校まで行ったことを思い出す。小学校の頃、姜さんは日本名「永野鉄男」を名乗っていた。テッチャンと呼ばれていたんですよと、タクシーのなかで姜さんが嬉しそうに語っていた。野球少年だった永野少年が、あるとき姜尚中と名乗ったと、母校の授業で黒板にその字を大きく書いた。「姜尚中」という白墨の文字が私のなかに深く刻まれた。
午前中いっぱい伝票処理に追われ、午後1時半すぎやっと解放された。遅い昼食をと思って放送センターの西口前を歩いていた。車寄せにタクシーが止まって、なかから姜尚中さんが現れた。さっきまでのことがあったので、その偶然にひとりでにやにやした。颯爽と玄関を入っていく姜さんに追いついて声をかけると振り返った。あの憂いに満ちた表情で私を見た。そして「やあ、お久しぶりですね」と挨拶。最近はお忙しそうですねと尋ねると、少し照れて「そんなことないですよ。また、いつかゆっくりお話したいですね」という。
以前、ゴールデン街のとんぼで呑んだことを思い出し、「たまには新宿もいいかもしれませんね」と私は応じて別れた。
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