熊田千佳慕ー昆虫画家の小さな世界
昨夜も編集で遅くなった。9時半に目が覚めた。寝床のなかでしばしぼーっとしていた。何かがあったはずだと探った。
そうだ、私の作品の再放送があったのだ。20年前に制作した「私は虫である」が今日のアンコールアワーで放映するという連絡を水曜日に受けていたのを思い出した。
昆虫画家の熊田千佳慕さんが主人公のドキュメンタリーだ。彼は今夏98歳で亡くなった。その追悼も兼ねて放送されることになったのだろう。時刻はただ今10時、放送されるまであと10分。慌てて、ハードディスクに録画予約をする。しかし、初めてのことなのでうまくいったかどうか判らない。
今、私の作品は終わった。番組は続いている。「NHKアーカイブス」という枠なので、桜井アナが萩尾みどりさんと奥本大三郎さんのゲスト二人とトークしている。どうやら、熊田さんの世界を口火にして、虫談義となった。
そのあとに、ハイビジョン特集が流れている。私の作風とまったく違う。まず熊田さんはよく喋っている。それを聞き出すためにインタビュアーの声が多い。しばらく見ているうちに、この製作者の姿勢が私とはまったく違って、細密画を描く画家のくらしを描きたいのだと思った。虫を愛する熊田さんにはそれほど関心をもっていない。
だんだん、制作した当時のことを思い出してきた。時代はちょうどバブルだった。清貧の絵本作家の話など誰も関心をもってくれなかったので企画を通すのに苦労した。この話を若いディレクターから聞いたとき、私はちょっと浮き世離れした世界、メルヘンを描きたいと思った。熊田さん自身、自宅から半径500メートル以内の暮らしをしていて、まるで虫そのものじゃないかと驚いた。だから「私は虫である、虫は私である」というコメントはすらりと出てきた。タイトル「私は虫である」というのは気にいっていたが、誰も見向きはしてくれなかった。
この番組が放送されて半年ほど経過した頃から少しずつ話題になっていった。私たちが取材をしていたときはほとんど無名であったのだが、横浜名誉市民に選ばれるなどして、熊田さんは次第に有名人になっていった。
この番組は私の誇りである。時流に乗らず、自分がいいと思ったことを描くという番組制作者の矜持を私に与えてくれたから。それともう一つ大事なことはナレーションだ。牟田梯三さんが詠んでくれた語りは素晴らしかった。この仕事で、私は語りのコツを掴んだ気がした。
ところで、今日見ていて発見したことがある。熊田さんのあの埴生の宿の住まいのなかで、熊田さんが立ち上がったときに壁に土門拳の仏像の写真が飾ってあったことだ。本名、熊田五郎は東京芸大を卒業した気鋭のグラフィックデザイナーだった。先駆的なグラフ雑誌「NIPPON」で伝説となった人物だったことはあまり知られていない。そこで土門と席を同じくしていた。実は、私も20年間知らなかったが、先日土門拳の写真集を担当する編集者から、熊田と土門は親友であったことを知らされたばかり。だから、本日の放映で、仏像写真に気がついたわけだ。彼の画業はアカデミックな素養に裏打ちされていたのだ。
午後から、10月24日放送分の事務局試写がある。これも虫の目をもった養老孟司さんとアニ目の宮崎駿さんの対話だ。編集アップまであと3日、最後の追い込みとなる。
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