アハレ ワガイノチ
太宰の『斜陽』が単行本として出版されたのは昭和23年。私の生まれた年だ。戦争が終わって3年。社会はまだ不安定だった。
当然、敗戦の混乱は続いていた。民主化という言葉が太平洋の向こうからやって来たけれど、実感としておおぜいの人たちは掴めなかった。労働組合の声が大きくなったり、戦犯追放とか農地改革などが推し進められたが、人の生き方としての民主化まではまだまだ実現化することはできなかった、ようだ。
たしか、黒澤明の「わが青春に悔いなし」が封切られたのも23年だったはず。そこで描かれた原節子の演ずるヒロインは、”封建的”な社会、地域に抗って生きて行く姿を描いている。今の私たちの目から見れば、これほどのことがなぜ問題になるのだろうかと思うが、女性が発言したり行動を起こしたりすることは、当時の情勢ではかなり厳しかったにちがいない。
そんな時代に、旧華族の娘が妻子ある男と関係をし、未婚で子供を作ったという物語は、とても大胆で新鮮にみえたにちがいない。「斜陽」の造形は、太田静子というモデルがあってこそ生まれた小説だ。この静子という女性の人生がこれまであまりにも過小に評価されてきた。今回、私たちは彼女の生き方に注目し、太宰と静子の子である太田治子さんが、二人の生き方を批評的に見つめる。
10月4日の放送をごらんいただければ、二人の生き方の詳細は判ると思う。太田静子は戦時中下曽我の山荘にこもって、貴婦人である母と浮き世離れした生活を送っていた。その日常を日記に綴っていた。それが、後年、『斜陽日記』として発刊されるものだが、この日記を下敷きにして、太宰は『斜陽』を描いた。『斜陽』の第一章、二章は、日記のほとんど引き写しに近い。それほど、静子の日記は魅力的だったのだ。文学を愛し、ローザ・ルグゼンブルグの革命理論に萌える静子。前衛短歌を詠み、チャイコフスキーを愛ずる静子。銀座を闊歩しフランス語を学ぶ自由人だった。ある意味では、太宰よりよほど過激な精神の持ち主ともいえる。
二人は文通していた。あるとき、静子は自分の将来について太宰に尋ねる。1つは若い文学者といっしょになるくらし、2つは堅気の男に再婚するくらし、3つめは妻子ある作家の愛人となって生きるくらし、このどれを選べばいいでしょうかと、静子は太宰に言葉の刃を突きつける。
それを読んだ太宰は、すぐ電報をうってくる。「アハレ ワガイノチ」
今回の番組では、この事実経過は押さえているがこの太宰の電報の意味については深入りしていない。私はずっとこの文面が気になっている。静子のまっすぐな求愛に対して、はぐらかすような文面。だが、もし静子をなだめるだけなら「アハレ イノチ」でいいではないか。なぜワガイノチとしたのだろうか。大好きな家族もありながら、別の女性とも交情をもとうとする自分を、感傷的に哀れんだのであろうか。もしくはイノチとは静子のことで、字義どおり、思い詰めている静子のことをアワレと思ったのだろうか。
いや、ひょっとすると、思いつきで気のきいたセリフとして、若い女の気を惹こうとした台詞なのか。
今回番組を制作しながら、あらためて太宰の言語感覚の秀抜に目をみはる。静子への「ラブレター」に出て来る文言。好きな女に向かって、あなたは私の「憩いの草原」だと記すのだ。こういう用例はない。同時代の横光利一や織田作、中原中也らとシノギを削っているなかから生まれてきたのだろうか。
カタカナ使用で、私が一番好きなのは「右大臣実朝」の一節。
アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。
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