おいなりさん
あまり大きな声ではいえないが、母は料理が苦手だ。幼い頃はそんなものだと思っていたが、長じて他所サマのごはんを食べると、母は料理は下手だったなあと分かるようになった。娘時代から家事手伝いより本を読むのが好きだったと、料理が下手なことは自認している。一つの理由として牛肉が怖いということがある。子供の頃、遠足で牧場に行った。そこで弁当を食べていたら、友だちが「美代ちゃん、あんたの食べてる肉は後ろのあの牛やで」とひやかした。振り返ると、肉牛が大きな舌を垂らしてよだれをいっぱい溜めていた。この不気味が母のトラウマになった。以来、一切肉類は口にしない。自分が食べないものだから、肉料理はほとんど作らなかった。考えてみれば、私の小学生時代はベジタリアンだった。
その母だが、運動会の弁当などはそれなりに作っていた。校庭で食べるいなりすしなどは、私の幼年期の思い出だ。
結婚して、妻はすぐに母の料理が下手なことを悟った。母は作るより、作ってもらったのを「おいしい、おいしい」と言って食べるのが好きだったから。
私が運動会の思い出を語ると、妻は内心不思議に思っていたそうだ。
ある日、妻は母に尋ねた。
「運動会のお弁当のいなりすしって、意外に難しいですよね。おかあさんはいつもどうやっていました」
すると、母はけろりと言った。
「ああ、あれか。あれはなあ、お隣のカタオカさんの奥さんに作ってもらっていたんや」と。
ええ!私はおふくろの味と信じて、運動会のおいなりさんを思っていたけど、それはまっかな嘘。50年間、あの母の笑顔に騙されていたのだ。
そんな母だが、唯一おふくろの味がある。「にしんなすび」だ。京都のおばんざい料理の一つで、ちょうど今頃の茄子の季節の煮物だ。みがきにしんと茄子を甘辛く煮込んだもので、私は田舎へ帰るとそればかり食べている。
母も、これだけは自信があるとみえて、バカの一つ覚えでこればかり作っている。
その「にしんなすび」を、今年の秋は食べることができない。
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