みずむしの歌
大磯の家でぽつねんとパソコンの前にいる。思い立って、ユーチューブを開いた。
「池上線」と「渡良瀬橋」を聞いてみる。20年前30年前に流行った歌謡曲だ。
ぽかんと聴いていると、なんだか思い出がほろほろとこぼれてくる。
母は若い頃、手にひどい水虫をもっていた。石鹸を使えばすぐ手が荒れた。いろいろな病院を渡り歩いていた。なかなか治らなかった。夜になると、クレゾールだろうと思われる消毒薬のぬるま湯に1時間ほど手を浸していた。時には痛かったのだろう、涙ぐむこともあった。小学生だった私はその姿を見るのが辛いというより恐かった。なんとか、治らないものかと、まだ小さかった真ん中の弟と相談をしたこともある。幼い二人でどうしようもないのに、なにかしなくてはという気分に襲われていたのだ。
そんな頃だったのじゃないだろうか、家庭新聞を作ったのは。学校で、新聞つくりを覚えてきて、うちでも作ろうと言ったら、厳格な父が珍しく相好を崩して賛成した。主に私が記事を書いたり4コマ漫画を描いたりした。幼い弟は一言下段に字を書いただけだったと思う。父が少し寄稿したかもしれない。
タイトルは「つくしタイムス」としたから、制作時期は冬の終わりか早春だったのだろう。
そこの、大きな記事は「かあちゃんの水虫」だった。いつもいつも洗濯ありがとう、早くよくなってほしいと書いた。
しばらくして、我が家に電気洗濯機が運び込まれた。近所でもまだ数軒の家にしかなかった頃だ。ナショナルの洗濯機は、あのロール式絞り機だった。安月給だった父がきっとはりこんだにちがいない。私は、うちに洗濯機が入ったということが嬉しくて、近所の悪がきたちに自慢して歩いたことを思い出す。
あれから、母の水虫がどうなったのか記憶にない。ただ、私が4年生になる頃には夜の消毒などはなくなっていた。この消毒の夜のことは、ずっと忘れていた。だが、今夜の湘南ライナーで夜景を眺めているとき、ふっと思い出したのだ。あの100ワットの電灯の下で、新聞紙を敷いて、その上に消毒薬をうすめたぬるま湯の入った洗面器。そこに手をひたしている母。心配そうに見る私と弟。そんなことを思い出したのだ。
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