不意をうたれて
昨日、あんな決心をしておきながらすべてご破算にすることにした。「団塊世代のサブカルノート」の作成のことだ。
帰りの湘南ライナーのなかにかかってきた電話で、急を要することを告げられ、すべてを元通りにした。
こんなことも人生にはあるのだ、と自分でも驚くほど冷静に事態をみつめている。たしかに人生にはついて回る苦の一つである。
鍼をうってもらったせいか、昨夜は早く眠りについた。が、朝は早くに眼が覚めた。日の出前の青い薄闇のなかで眼をあけたままベッドにじっとしていた。集く虫の音が波のように寄せては返す。きしりりり、きしりりり。むせぶがごとくささやくかのごとく。そのなかから間の抜けたカラスの声が時折聞こえてくる。ぼんやりとhitoの一生を思っている。
6時を回って、のろのろと起きてきてパソコンの前に坐った。何かを刻んでいないと気がすまない。書斎の雨戸を開けると冷気がすっと入り込む。パソコンの白い画面を眺める。冒頭に「不意をうたれて」というワードを打ち出す。
空がだんだん明るくなる。庭を見やった。草の葉に白く光るものがある。白露だ。真夏の朝なのに露があった。昨日から今朝にかけて一雨もない。だから、これらは露にほかならない。そのかそけき光に見入ったとき、急き立てるようにひぐらしが鳴きはじめた。
吉野弘の詩集『陽を浴びて』を書棚からとる。吉野は記している。
《何ものか
私を遥かな過去から今に送り出してきたもの》
この何ものかが、私の知らない間に草の葉に露を結ばせ、人の世の、繰り返される生を造化してきたのだろうか…。
ヨハネによる福音書3章8節。《風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くか知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。》
8月13日。2009年の冷たい夏らしくひんやりとした朝。日がのぼっても熱気はない。次第に気温が上がって空の色に塵埃が混じり不純になりはじめた。
週末にふるさとへ戻るために、今日中に仕事の段取りを決着しておかなくてはならない。黒革のシステム手帳を繰って、アポの時間を確認し、連絡先を頭にたたきこむ。
7時になった。草の露はまだ残っている。
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