団塊世代のサブカルノート
私が番組作りに関わりはじめたのは70年代半ばのこと。当時は、エンターテインメントと教養がくっきりと分かれていた。マンガや映画、流行歌などは大衆文化、下位(サブ)文化としてみなされ、いわゆる教育テレビのドキュメンタリーにはふさわしくないと考えられていた。近松半二の世界、近代日本の足跡~大原美術館~、移民群像~瀬戸内の村の100年、近代日本の足跡「造幣局」、といったタイトルが並び、出演者も加藤周一、石川淳、ライシャワーといった大文字の文化人ばかりだった。
流れが変ったのは80年代に入ってからで、パルコ文化やJALパックなどツーリングという消費文化が注目されはじめた頃だ。私の所属するチームは「ETV8」という枠を担当していた。チームのリーダーであったミヤタCPはいち早く時代を読み、「ポップカルチャーを考える」というシリーズを打ち立てた。ここにシンガーの佐野元春や桑田佳祐などを引っ張り出したときは驚いた。ミヤタ氏は日本の戦前のアニメや小津の映画論などをどしどし取り込む手法をとった。
そういう流れのなかで、私は「少年誌ブームを作った男」(1987年11月17日放送)というドキュメントを制作。大伴昌司伝説の嚆矢となる番組を作るという“幸運”を手にいれる。
放送の世界でもサブカルに関心が向きつつあったにもかかわらず、私はその流れとは距離をおいていた。当時の私の関心は障害者と原爆被爆者のほうへ向かう。大江健三郎さんと出会ったことが大きかった。ヒロシマ、ナガサキそして障害をもった人たち。その威厳に満ちた生き方に圧倒され、その人生を記録することに没頭していく。
それから17年。私は56歳となり、定年の1年前をむかえていた。なんとなく、それまでやってきたヒューマンドキュメンタリーの締めくくりになるような番組を作ってみたいと野心をいだいていた。そこへ、春3月に椿事が起こる。ひょんなことから、メロドラマ「冬のソナタ」のキャンペーン番組を作ることになるのだ。最初は1本だけのつもりが、ブームが招来してその年に5本の「冬ソナ」特番をつくることになった。大衆文化が時代を動かすのだということを実感した。
以来、3年余。制作した番組の大半がサブカルものとなる。
“冬のソナタ”へようこそ 2004年3月27日
スーダラ伝説 植木等・夢を食べつづけた男 2005年11月1日
あしたのジョーの、あの時代 団塊世代 “心”の軌跡 2007年3月24日放送
21世紀を夢見た日々 日本SFの50年 2007年10月21日
ちばてつや再びの“マンガ魂” 2008年10月11日
新しい文化“フィギュア”の出現~プラモデルから美少女へ~2008年11月30日
全身漫画家~真説・赤塚不二夫論~ 2009年3月29日
ザ・ライバル~少年サンデー少年マガジン物語 2009年5月5日
ここに挙げた作品群については、ブログのなかで何度も取り上げてきた。この夏の間にそれらの文章を「団塊世代のサブカルノート」としてまとめてみようかと、思い立った。取材して得た貴重な情報の記録、サブカルチャーが社会へ与える影響の測定、かつカルチャルスタディーズの手法確認などを、テイクノートしようかと考えたのだ。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング