浅野川のほとり
金沢駅に到着したのは4日の朝11時。駅前から循環バスに乗って尾張町に向かう。駅前から別院までの風景はすっかり変っていた。武蔵が辻でもデパートがなくなり、近江町市場の存在が大きくなっていた。
尾張町から一本裏通り。夏の日差しを思い切り受け、カートをゴロゴロ引きながら私は彦三(ひこそ)の町を歩き回った。彦三は高級武士たちの住まいが多くあった界隈である。一角に履物の問屋があって、私は家庭教師として毎週通ったものだ。あの教え子はその後どうしただろう。消息を尋ねるつもりで、東京で菓子折りも買ってきた。家を探すがそれらしい店が見当たらない。炎帝が照らす道には人影はない。途方に暮れていると、ある民家から話し声が聞こえる。ふと表札を見上げると私の探す家だった。店舗が消えて今風の住宅になっていて気がつかなかった。
テッペーと愛称だけ覚えていたあの子は輝子だったか輝代だったか。どきどきしながらその家に私はおとないを入れた。
――ご両親は他界しておられたが、テッペーは今では三人の子供の母で元気にやっているとか。近況を聞かされ頑張って生きていることを知り嬉しくなった。40年前の女学生も今では熟女、人生のベテランなのだ。時間の流れを思い知る。
この家から遠くないところに昔通った彦三教会の跡がある。移転して、現在は駅裏の新興地にあり、名前も変った。跡地まで行ってみると夏草が生い茂っていた。
私は彦三の段丘を下って浅野川のほとりに出た。川風がそっと吹いていた。八月の浅野川はゆったりと流れている。川沿いの主計町は静かな花街。人影はほとんどない。浅野川大橋まで歩いて、たもとの橋場緑地で一休み。だらだら流れる汗を拭きながら、浅野川べりの柳を眺め、缶ビールを飲む。浅野川は優しい。ベンチに寝転がった。
――10分ほど眠ったようだ。
かえりこぬむかしをいまとおもいねのゆめのまくらににおうたちばな
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