砺波平野ぶらり
―なんとなく眠ってしまった。
チャイムが鳴って車内の明かりがいっせいに点いた。車内アナウンスが流れる。「5時19分となりました。あと30分ほどで富山に停車します。」窓外には青々とした稲田がずっと広がっていた。
寝巻きの浴衣のまま洗面所に行って顔を洗う。5時36分富山に着く。登山スタイルの若者が数人降りていく。そうか、ここは立山連峰登山の出発地だ。
電車は次に高岡に停車する。私のフリー切符は富山から小松までどこで降りてもいいはずだ。このまま金沢へ向かっても朝早い。そうだ、高岡で降りよう。
高岡は藤子不二雄Aの「まんが道」の舞台になった町。ここ数日、満賀道雄の世界にひたっていたから藤子不二雄ゆかりの町で朝飯でも食べて散策してみようか。
ホームに降り立つと、乗り換えの案内が流れる。氷見線と城端線の乗り継ぎを告げている。5分後に城端線が出発するという。「城端に行ってみたい」
かくて5時59分発の城端線の3両連結に乗り込む。おなかが冷えたのか、幾分渋り腹になっている。念のためにトイレの傍に席をとる。ところがティッシュペーパーをもっていないことに気がついた。やばい。
城端は40年前に一度行ったことがある。丸先生のくたびれたブルーバードでドライブした。当時はまだ車を保有する人も少なかった、長距離ドライブなんてめったにできなかった時代である。ちょうど私は4年生前期の試験を終えたばかりで気分は解放されていた。金沢から浅野川を遡上して医王山系を越えれば富山県砺波地方に出る。先生の車の助手席に乗り込んで遠出でもするか。本州の脊梁山脈でも見に行こまいかとはしゃいだのだ。
およそ2時間、城端に着いたときは日が暮れかかっていた。夕暮れの砺波平野には薄もやが流れていた。丘の上に立って町のあかりをずっと眺めていた。
丸先生はその頃東京から赴任したばかりの新人講師だった。憲法学が専門で、私の研究室の主任だった。すぐに助教授に昇格するのだが、当時は独身で気楽な暮らしを楽しんでいた。先生にとって私は最初の年の弟子である。
まもなく、大学が闘争の時期をむかえると、丸先生はけっして学生との話し合いを逃げたりしなかった。ときには立場を越えて学生の身の安全を心配もしてくれた。金沢を離れても、私は先生とは音信を交わしていた。まもなく、私の1年下の学生と結婚、3人の子を得た。だが、先生は40歳を越えるか越えないかで病死することになる。城端には、その先生との思い出が残っていた。
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