命終
今朝、オフィスに出ると机上にメモがあった。酒場ぶゐの女主人が亡くなったという連絡である。いささか不意をつかれた。先日、久しぶりに酒場ぶゐの陣中見舞いにでもと誘いがあったばかりだからだ。あいにく、私は大磯で用事が出来たため参加できなかった。欠席するということを告げに、店の前まで行った。赤いドアには覗き窓があり、そこから見ると多忙のようだったので、声をかけずに帰った。あのときは元気そうにみえたから、まさかこんな急な訃音が入るとは思わなかった。
平野さんという怖いおばさんだった。おばさんの詳しいことは知らないが、ずっと一人で生きてきた。若い頃には高級な料亭で働いたこともあったようで、酒席のマナーなどについては口うるさい人だった。
広島の出身で、親族にはかなり大勢の被爆者がいた。私が広島へ転勤になったとき、おばさんは自分の菩提寺を教えてくれた。そこは、原民喜の墓所でもあった。
私にとって忘れられないのは、その店の2階で、大江さんと「世界はヒロシマを覚えているか」の最初の打ち合わせをもったことである。4畳半の狭い部屋で、安江良介さんと3人で番組についての意見交換をしたのだ。今から考えると冷や汗ものだが、37歳の私はこれといった店も知らず、なじみのノンベエ横丁のこの店で間に合わせたのだ。たしか、大江さんの安江さんもあまり飲まないで、冷戦末期の世界の状況について熱心に意見を交わしたことが心に残っている。
そういう意味で、思い出深い酒場ぶゐであったが、私が広島から帰って来てからは足を向けることが減った。大磯という遠くに住んだこともあるが、行くたびに説教されるのが堪らないと逃げ出したこともある。
数年前におばさんは体調を壊して入院。出てきたときには鼻に酸素吸入器をつけての姿となった。そのイデタチでカウンターに立っていた。まだ80にはならないはずだが、だんだん動きが鈍くなっていた。
一人暮らしであったため、発見が遅れたようだ。まだ葬儀の予定がたっていない。
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