焔燃え盛る修羅の道を越え
齢、六十を越え、訃報訃音を耳にすること多し。年長の知人のみならず、同期同年の朋とも別れ行く。億万年の地球の運命すら一瞬の落下し燃え尽きてしまう彗星のごとく。
先夜見た、コーエン監督の「バートン・フィンク」。圧巻は燃え盛るホテルの廊下のシーン。
両脇の部屋からむらむらと炎が立ち上り、床からどす黒いガスが噴き出て舞い上がる。デビルの舌先のような炎だが、熱度はまったく感じさせない。赤黒い氷のような炎。
―その廊下を、覚悟した殺人鬼がのしのしと向かって来る。「夢幻のごとし」とつぶやくように、シリアルキラーは潔く奈落に向かう。
両脇に燃え上がる炎群をものともせず、否、睥睨すらして羅刹荒れ狂う修羅場を独行する。月並みだが、人生とはかくのごとしと言い聞かせる。
黄八丈柄の銚子を愛好したことがある。渋谷がまだ子供の町でなかった頃、井ノ頭線渋谷駅そばのおでん屋の熱燗はいつもそのお銚子を出した。おでんがうまかった。和辛子をつけて食べる蒟蒻は絶妙だった。ほお張りながら菊正宗の熱燗を呑んだ。和服を着た女将がいた。成瀬の「山の音」に登場する中北千枝子に似ていた。女将は仕事熱心とはいえなかった。客が少ないからか、いつも奥で常連と麻雀卓を囲んでいた。外套を着込んだまま牌をつかむ男たち3人が相手だったから、暖房も石油ストーブの時代であった。店には淫蕩な匂いがしたが、おでんは美味かった。底冷えするカウンターの上にぽつんと置かれた黄八丈の銚子。
もっと先のこと。金沢の時代だから40年前。いつもお侠な女の子が、ある日着物姿で現れた。黒地に黄色の格子模様、黄八丈をまとっていた。お転婆が、しおらしく出てきて呆気にとられた。その日も、底冷えのする寒い冬の日だった。御影橋西詰のしもた家での出来事。
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