ハルキとダザイと冬ソナと
昨夜から村上春樹にいかれている。短編の「ねじまき鳥と火曜日の女たち」「レーダーホーゼン」「TVピープル」を続けて読んだ。だんだん村上文学に惹かれている。のめっている。
朝起きて、内田樹の『村上春樹にご用心』が本棚にあったことを思い出して、取り出し読みふける。内田は日本の文壇がハルキを無視、否定する傾向こそ村上の作品が世界文学たりうると、熱く説いている。ハルキの文学の骨頂は「父の不在」とあった。意味深な言葉である。内田はハルキファンは冬ソナファンとかぶるのじゃないかと、仮説を立てている。チュンサンとユジンの間には、まさに「父の不在」が横たわっているじゃないかと、思いもつかない説を、内田は提供してくれる。
懸案の(私は今「斜陽論」を担当している)テキスト、「斜陽日記」を読み始める。ダザイの「斜陽」との比較をするつもりで読み始めたのだが、共通点より相違点にばかり目がいく。ダザイが独自に作り出した表現にばかり目がいくのである。「斜陽」に登場する嫌な作家上原は、ダザイの自画像だろう。そのデカダンが気になって仕方がなく、昨日購入した『人間失格』をカバンのなかから取り出して読むことにした。
べたりと張り付くような自己嫌悪の所行の数々。ここまで卑屈にさせていくものは何で在ろうかと、かまととぶってダザイさんに聞きたくなる。下男や下女にされた犯罪的行為とは何だよ。
9時半から10時半まで、『人間失格』を読んで、ふたたびハルキに戻る。
猫ワタナベ・ノボルが消えた路地。入り口も出口もない、近所の人が便宜的に「路地」と呼んでいるにすぎない。家々の裏庭を縫うようにして約200メートルほど続く。ここに主人公の猫が出入りしていたというが、行方不明となった。探しに行っても見つからず、途方にくれて家に戻り、妻から小言を言われて、物語は終わる。
ここで終わるのか、そりゃあないだろう。と抗議してもハルキは知らん顔。この愛想なしが、今朝の私に心地よい。
たしか、この短編「ねじまき鳥と火曜日の女たち」が発展して、長編「ねじまき鳥クロニクル」になったはずだ。そちらは、すいぶん以前に読んだ。その際は「路地」は気にならなかった。ノモンハンと井戸ということだけが心に残ったが、はてどんな物語だったっけ。もう一度、読みたい気分に今駆られている。
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