痒い所に手が届かない
水村美苗のエッセーで四肢切断の状態におちいった心理学者のエピソードを読んだとき、恐怖が走った。この世のなかでも、絶望の深さでは四肢切断ほどのものはないだろうというくだりは、単なる威嚇とは思えない。
ドルトン・トランボの「ジョニーは戦場へ行った」という映画を見た時の恐怖が甦る。第一次大戦で負傷した若い兵士の物語であった。彼は四肢を切断され、かつ話す機能も奪われている。治療をする看護士の世話なくして生きていけないという状況にあるジョニーの物語。この映画を見たあと、ずっと悪夢にうなされた。
自分がもしそうなったらと想像すると、一番怖れたのが痒いときにどうなるかという妄想だった。自分が痒いと思うところを掻くことができないとすれば、どうやってその苦痛(疼痛というべきか)を取り除くことができるのだろうか。その痒さが自然消滅するまで待つしかないのだろうか。その痒さというものは時間とともに消滅するようなものだろうか。じりじりと痒さが迫ってくる。
昨夜から、体のそこらじゅうが痒くてならない。私の場合、気温が急激に変化するとよく起こるのだが、一種のアレルギーだろう。痒いからかきたい。腕、脇、背中、お尻とそこらじゅうがむずむずする。孫の手などはないから、鉛筆とか団扇とか有り合わせのもので背中をかく。このところ、左肩が50肩になっていて左手が思うように上がらない、曲がらない。やむをえず、体を歪めて四苦八苦しながら、背中の左半分を掻く。だが、きちんと掻けないからイライラが残る。
話はややずれるが、意識をなくしたまま闘病を続けてきた人たちがいる。土門拳は1979年に脳血栓で倒れ、11年間の闘病生活の後、1990年に80歳で死去した。赤塚不二夫はアルコール中毒に脳内出血など多くの病気を併発して入院した。意識を失って数年、昨年死去した。
土門にしろ赤塚にしろ、見かけは意識は失っていたが、果たして本当に意志が消えていたのだろうか。土門の妻は、土門がときどき涙を流したということを証言しているし、赤塚も嫌な見舞客には冷たいそぶりをしていたという。おそらく、二人とも外部とコミュニケーションはとれなかったが、意識はあったのではないだろうか。もし、そうだとしたら辛かっただろうなあ。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)という難病がある。筋肉がだんだん萎縮していって、体の自由を奪われる病である。頑健な消防士であったひとが発症して、幼児のようになった患者を取材したことがある。辛い病だが、それでもコミュニケーションをとることがぎりぎりまで可能であることが救いであった。いろいろな筋肉が不随になっても、最後はまぶたの動きで意志を発露することもできるのだ。私はそうやって意志を伝達する人を、トーク番組「人間マップ」に出演してもらったことがある。この番組は、私のタカラとなった。
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