日にちぐすり
昨日の読売新聞の人生相談で、「日にちぐすり」という言葉を知った。月日が辛さを和らげるという意味だ。相談者は、親友が最愛の夫を失って悲しんでいることに何をしたらいいかと問い合わせている。これに対する答えのなかに眉村卓さんが日にちぐすりという言葉を使って答えていた。
日本SFの草分けであり大御所である眉村さんは、いかつい風貌と違って愛妻家である。奥様が病で倒れて車椅子で不随のくらしを送るようになってから、甲斐甲斐しく身の回りの世話をやくばかりか、奥様のために毎日ショートストーリーを書き続けた人でもある。その数は千に及んだ。このときの作品を集めて作った私家版の冊子を私はじかに眉村さんから、2年前にいただいた。
眉村さんの最愛の糟糠の妻は、介護の甲斐なく亡くなられるが、眉村さんのなかでは精一杯やることをやったという自負があったにちがいない。といっても、妻を亡くして一人となった眉村さんの人生は辛く厳しいものがあった。その苦衷を内に秘めて、現在の老いの日々に至っている。
その眉村さんが、喪失の悲しみにうちひしがれる人に対する慰めは、「日にちぐすり」しかないと発言している。重い言葉だと思う。
そうわかったうえでも、やはり歳月という薬が効かない悲しみを背負う人がいるものだ。
以前にも書いたが、私のよく通った居酒屋の女将だ。5年ほど前に最愛の夫を亡くして以来、その心は凍ったままでいる。私は半年に一度ぐらい、酔っ払って電話をするが、「いつもありがとう」といって、その後は泣いてばかりの日々を送っている。
いつの頃からだろう。人生という言葉をしみじみ考えるようになったのは。五十の坂を下り始めた頃だったろう。それまでは、「人生劇場」とか「ばら色の人生」とかの用法でしか考えが及ばなかったが、老年期に入り始めたときから、人生ということを考えるようになった。この考えに影響を与えたのは、神谷美恵子だった。
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