葉っぱもいろいろ
花の名前や葉っぱの形を覚えると、景色が違ってみえる。万緑ということで十把一絡げに知っていることも微妙なグラジエーションを理解すると、植物の個性が浮き出てくる。この時期にはアジサイの花に目がいくが、花の色の鮮やかな移り変わりに目を奪われず、その葉っぱが豊かに花を包んでいることを知ると、けっこう感動するものだ。
昨日も植物園でいろいろ発見した。柏の葉が3枚になっていること、葵の葉の縁のぎざぎざの繊細さ、アザミの葉のとげはまっすぐ押すとそれほど痛くないこと。
おそらく、異星人の目から見れば、人間もすべて同じように見えていることだろう。その多様性の特徴を知ることが出来て、醜さ、美しさが分かるはず。個体識別ということがどれほど重要なことか。
樹木もそうだが、魚はほとんど同じにしか見えない。タイはタイ。鰯は鰯。イカはイカ。
イカAとイカBの区別がつかない。でも動物は、姿形でなく行動のパターンでなんとなく違いが判る。犬や猫はもとより、蟻ですら区別がつく。外観は同じでも、蟻の行動でなんとなく蟻Aと蟻Bの差異がみえるのだ。
ビッグコミックス、オリジナルの「黄昏流星群」は欠かさず立ち読みしている。弘兼憲史
の画もストーリーも好きだ。初老の男女のコイバナは物悲しい。彼は私と同世代で感受性が理解しやすい。今週号の話は、いささか身につまされた。大会社の編集者だった男の、大きな勘違いの話。この男の“喜劇”は笑っていられない。
庭園の草花を見ていると、時分の花ということを思う。どんな草花でも(日陰の存在)、盛りの時期が来れば主人公に躍り出るということ。私の若いときの友人H君は、長く総務を担当してきた。地味で目立たず、コツコツと仕事をこなしてきた。けっして人前に出ず、バックヤードで仕込みや危機管理など縁の下の力持ちを演じてきた。
その彼が、定年2年前に突然大きく化けた。定年後の社員の人生設計のコンサルタントを担当するようになってからだ。それまで、彼が長く見てきた社員の身の上の変転が、その立場になって意味をもつようになったのだ。彼は、それからは声が大きくなり、張り切って仕事をするようになった。自信にあふれていた。
先日、久しぶりに彼と会った。昔の彼にもどっていた。穏やかで、欲がない「静かな生活」にもどっていた。短い春だったが、彼の盛りは終わっていた。だが、昔どおりの彼は多忙期の彼と違って、人としての魅力を静かに放っていた。
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