誰かが
水村美苗というすぐれた作家がいる。10年以上前に『続明暗』という小説で登場したとき、帰国子女だと聞いて、どうせ日本趣味の本だろうと思って読まなかった。次いで、パートナーが東大の優れた経済学の教授と知り、水村自身もエール大学を出た才媛と聞くと、ますます敬遠した。白金か島津山あたりの高級マンションに大学教授の夫と二人暮らしで、ほとんど炊事洗濯などもせず、深窓で机に向かい万年筆を滑らしている、といった姿を思い浮かべて、いちばん苦手なタイプと思ってその著作を遠ざけてきた。
ひょんなことから、昨年話題作『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』を読むことになり、意外に分かりやすい論旨にほっとして肩の力が抜けた。それでも難解ではあったが最後まで読み通すことができた。アメリカで少女時代を送ったというクサい発言も、次第にやっかみから同情へ変わっていった。どういう点に引かれてそうなったかはまだきちんと考えていないが、少なくとも端正な文章に居住まいを正された。
この人の続編のような本が最近2冊出た。『日本語で読むということ』と『日本語で書くということ』。この2冊は『亡びるとき』と違ってエッセー集だ。毎日、少しずつあっちこっちを読み散らかしている。一つ一つの話が滋味深く、一気に読むのがもったいないのだ。須賀敦子と出会ったときとよく似ている。
「『善意』と『善行』」という巻頭のエッセーで頭の後ろをガーンとどつかれた。
この内容を説明する気はない。ある挿話だけに言及する。水村がアメリカのラジオで知ったエピソードだ。主人公は事故にあって四肢麻痺に鳴った心理学者。彼は首の骨が折れて体が動かなくなり、集中治療室でぼんやり「死んだほうがまし・・・」と思っていた。そのとき、看護婦が声をかけた。
《―先生は心理学のお医者さまでしょう?男がそうだと答えると女は続けた。―死んだほうがましだって、そう思ったりすることって、よくあるんでしょうか。》これを聞いて男は応えて、女が去ったあと思う。「こんなサマになっても生きていける。」と。
この話をめぐる水村の解説というか解釈がすばらしい。
《男の家族も友人もなんとか彼を励まそうとする善意に溢れる人たちであった。だが、それらの人たちは、彼をわずかでも救うことはできなかった。逆に、一人の看護婦から救いを求められ、彼自身が救われたのである。》
これを読んだとき、私はあっと思った。人生の深淵をのぞいたような気がした。まだうまくまとまらないが、文学の意味ということを突きつけられたような気がした。
もう時間だ。本日は三鷹の禅林寺で「桜桃忌」がある。ロケの準備があるから早めに家を出なくてはならない。この水村のエッセーを道すがら考えたい。
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