レスラーの死
全日本プロレスの中心選手となり、その後、プロレス団体「ノア」を立ち上げた三沢光晴、昨夜死んだ。46歳だった。70年代からプロレスを見てきた私にとって、全日の三沢は視野に入ることは少なかったが、クレバーな選手だなといつも思っていたから、その死はそれなりにショックだ。体は小柄だが、ヘビー級の選手と混じって試合をするのはかなりの負担だなと前から思っていた。でも、それでもやっていけるのが全日スタイルと、新日とは違う「考えるプロレス」だからと理解してきたが、今、三沢の死を知ると、全日の選手の悲劇の多いことに驚く。鶴田、馬場、と中心選手が40代で死んでいる。小橋にしても癌で倒れた。
アルチメットやK1など格闘技が登場してから私はプロレスへの情熱を失ったが、それまで(特に80年代)は毎週深夜プロレスを見ていた。週刊ゴングは毎週買ったし、週刊プロレスは毎月一回買った。だから、三沢や川田などの全日選手の動きも同時代で知っている。全日のなかで好きだったのは天龍源一郎だった。それ以外の選手にはなんとなく胡散臭さを感じていた。2代目タイガーマスクとして活躍する三沢はジュニアだからと軽視していた。
だが、馬場の時代が終わり、日本テレビのゴールデンから排除されたりする時代が来ると、三沢は全日の屋台柱になっていく。次第に貫禄をつけていくが、他のレスラーと違って政治的な発言が多いなあと敬遠していた。だから、ガチンコはあまりやらずに格のレスリングをやっていると見ていた。だから生命の危険などはまずないと思っていた。だから、この突然の死には驚かされた。
試合中にバックドロップを受けて頭を強打、意識不明となり、心配停止の状態だったが、13日午後10時10分、死亡が確認された。相手を調べると斎藤彰俊選手だというではないか。彼は一時華やかだったが、その後はぱっとしないような選手だったが。後藤のバックドロップは危険だと聞いていたが、斎藤のそれは並の技だったのじゃないのか。むしろ三沢のバックドロップのほうがスピードもあって危険の匂いがしたものだ。
この技が直接三沢を直撃したとしても、本当のダメージは別にあったのじゃないか。プロレス興行がだんだん立ち行かなくなったことなどで、経営者として心労が重なっていたのじゃないだろうか。たしかに、私のような古いファンはだんだん離れていくことが多くなっていた。
5年前に、私は力道山のドキュメンタリーを制作したことがある。ナビゲーターは作家の村松友視さんだった。シャープ兄弟との死闘から始まった日本のプロレスは、当初真剣勝負という”誤解”を担保にしていた。それが、次第に剥がれていくのは猪木の活躍する80年代半あたりからだった。力道山と木村の遺恨の試合だけは、セメントの匂いがし、その評価をする村松さんの表現に「眼からウロコ」の思いをいだいた。
モダンのプロレスが終わりポストモダンの格闘技が勃興してきた90年代後半から、世の中もだんだん「ホラ話」や「バカ話」がなくなり潤いも減った。梶原一騎が少年サンデーで「プロレス悪役物語」を書いていたあの頃・・・。そういえば、ミッキー・ロークの主演映画「レスラー」が面白いと誰かが言っていた。ポーゴこと関川が書いたプロレス本もすべてをぶちまけていると、知人が教えてくれた。今日あたり、久しぶりに昔の試合をビデオで見ようかな。秘蔵の映像はジャイアントと前田のあの試合だ。たしか、クワタケースケくんもお気に入りと聞いた。
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