まさる
内田勝3代目少年マガジン編集長。30万部しかなかったマガジンを150万まで押し上げた立役者。そのことばかりが喧伝されているが、実は牛のような粘り強さと沈着な思考で時代をいつも読んできたのだ。つまりジャーナリストだった。
読書家で有名だった内田さんは老年に至って、あらゆる書物に目を向けていった。古代史から焼き物、グルメ本まで幅広いが、とりわけ自然科学へは深く参入していった。彼が座右の書にしてのはメーテルリンクのノーベル賞対象作となった「ミツバチの世界」だ。内田さんに言わせると、「青い鳥」のメーテルリンクとして知られるが、彼の本領は昆虫3部作であるという。この昆虫の生態研究というのが、内田さんの社会観に大きな影響を与えていたようだ。
内田さんが亡くなる直前の2008年1月16日に職場で行った講演の原稿を、昨日入手した。演題は「個衆化世代の生態と市場性」。その詳細の紹介は別の機会にするとして、気になった点をメモしておこう。
タイトル通り、現代を個衆化世代の時代だと内田は見ている。
戦後の大衆化時代から、団塊世代による群衆化の時代を経て、オタクを中心とする個衆化世代の時代になったというのだ。その世代は情報に対してきわめて敏感である。それを、大伴昌司とともに制作した巻頭図解「情報化社会」で内田は掴みとった。二人はビジュアルジャーナリズムということをめぐって相当議論したようだ。その成果は、同じ巻頭図解の「劇画入門」で表された。個衆化世代のさきがけとなるのはオタクと呼ばれる世代で映像に敏感であるとみる。その特性は「一枚の絵は1万字にまさる」という有名なテーゼになる。映像の優位性を説いた。これは大伴が作ったコピーだが、うちだまさる、という名前に敬意を表して、まさるを織り込んだのだ。
さて、この映像人種であるオタクたちの特徴は「お産革命」の影響が大きいと、内田はユニークな説を立てる。団塊以上の人たちは自宅出産で、生まれてすぐ抱きしめられるという体験をする。母の存在が刷り込まれる。ここでローレンツのインプリンティングの論を内田は持ち出す。この体験は赤ん坊に他者があるという刷り込みを施す。一方、無菌室で出産を体験した60年代以降に生まれたものは他者がなく、自分の生命は自分ひとりで成り立っていると理解するようになった。この他者性のなさがオタクに代表される60年代以降に生まれたものの特長だと、内田は考えたのだ。この層をあてこんで作ったのが、情報誌「ホットドッグプレス」であったと自賛する。このあたりの目の付け所は、ライバルであったKサンデー編集長が情報誌「レコパル」を創刊したこととよく似ている。優れた編集者は時代を見事に読むものだ。
内田さんはインテリで無類の読書家であるが、けっして象牙の塔にこもる青白いインテリではない。実用的な体験値を中心にして具体的に発想するのだ。ともすれば講談調の痛快譚になりかねない危うさもある。だが、ぎりぎりのところで独特の知性が、時代の風を読み取らせる。だからこそ、高度成長期に次々と雑誌のヒットを飛ばすことになった。
その内田さんは、今のわかものはどこにいるのかという問いに対して、ケータイの前にあるということを力強く語っていた。おそらく、これが次世代への遺言となった。
内田さんを偲ぶ会が、六月二十六日に銀座のホテルで開かれる。事務局から協力を求められて喜んで応じた。ちょうど、この日は講義がある日だが、私はとんぼ返りをしてでも会場に駆けつけるつもりだ。
今夕、やはり少年週刊誌の編集長として活躍したTさんにお会いする。「ザ・ライバル」でもインタビューさせていただいたが、夏に開かれる「少年週刊誌のDNA展」でも資料を提供してもらおうと、展覧会のIプロデューサーと一緒に二子多摩川で会う。
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