目白5月句会から
5月第2の日曜日。めじろ遊俳クラブの句会に出席。月に一度の句会、老若男女が混じって、出品された句を相互に選びあれこれと批評をする。生の言葉の交換というのはげに楽しきものよ。ここの句会は8年ほど続いていて、てだれが3人ほどいる。私は参加するようになって半年。宗匠は津軽出身で私と同年。俳句の妙諦をさりげなく教えてくれる。言語宇宙の新陳代謝を図るうえでも、私にとって意義のある場だ。
この句会はそれほど縛りがつよくない。有季定型の伝統句だけというわけではない。口語自由律句もありだが、歴史的仮名遣いと現代語が混じるような作品は注意を受ける。だが、口語句を排除するわけではないから、次のような句もありだ。
忌野清志郎・5月3日逝去という前書きのついた句
大好きな先生のひげ青嵐
清志郎の代表曲「大好きな先生」を織り込んである句だ。座では好評であったが、青嵐はやや言いすぎかという批判があった。
俳句はできるだけ因果律を避けるべきであると私の句で注意をうけた。
億兆のしずくで皺〈しわ〉む夏の川
雨のしずくが注ぐ目黒川の嘱目句だが、しずくで、は因果関係に落ちてしまう。むしろ、しずくに、のほうがいいのではと二六斎宗匠から指摘された。うん、なるほど。
そして、他の人のうまい表現などが参考になる。新しく覚えた言葉。
ふふむ―蕾が開くこと。君影草―すずらん。蜷の道―蜷は蛍の餌。目交ぜ―目配せのようなしぐさ。生るる―あるる、誕生する。金魚の季語は夏。新樹光―この時期の光。
兼題はキリン、絵葉書、新聞紙。当季雑詠には出したが、ここには私は出品せず、メンバーの作品を味わうのみであったがなかなかの作品が出た。最高点をとったのは宗匠の次の句
はじめての空捜しゐるキリンの仔
私もいいなあと採ったが、明確な季語がない。だが「仔」というのはなんとなく春の季感が漂うということで、私は採用した。
すぐには分からず、後評を聞いて納得したのは次の句だ。
木耳〈きくらげ〉や樹海に残る新聞紙
不気味な雰囲気が出ている。が“残る”は別表現を捜すべきという声もあった。こういう具合に受け取る側の意見が聞けるところが、実際の句会のいいところだ。俳句という表現は作者だけのものでなく鑑賞する側のものでもあるわけだ。
今年の5月の津軽は久しぶりに「雪月花」となったと宗匠は興奮気味に語った。桜の時期に弘前に雪が降って、風雅のまことが図らずもそろったというのだ。津軽自慢の宗匠としては嬉しかったことらしい。2時から始まり5時過ぎに終わった句会。そのあと目白駅前の居酒屋でわいわいやりながら8時すぎまで、俳句三昧の時間を過ごした。
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