お礼参り
長い休みも終わった。今日から新しいステージだ。
半年全力をかけて制作してきた「ザ・ライバル」の後処理をしばらく行って、次のプロジェクトに踏み出そう。
29日から6日までの間に4本のDVD映画をみた。オリバー・ストーン監督の「アレキサンダー」、ジョージ・クルーニーの「フィクサー」、ウッディ・アレン監督の「おいしい生活」、「インテリアー」だ。
「アレキサンダー」はあまりにだらだらしていて途中離脱。「フィクサー」と「おいしい生活」は最後まで見るには見たが、嫌々ながら。「インテリアー」のみ心に残った。1勝3敗か、でも1本でもあったのは幸いだ。
「フィクサー」などは見ているうちに腹がたってきた。クルーニー主演でシドニー・ポラック監督だから期待したのだが、陰謀がなかなか輪郭を見せず、もみ消し屋(フィクサー)といわれる所以も思わせぶりのままだらだら推移する。だいたい、会話の断片があまりに隠されていて、観客が何を手がかりに見進めればいいか戸惑う。こんなシナリオを誰が書いたのかと憤懣をもって、エンディングのタイトルを見ると、マイケル・クライトンが原作とあった。なるほど、元の小説はそれなりに暗黒めいていて面白かったのかもしれないが、脚本化された段階で、これは凡作(それ以下)となりはてた。同様の内容をもつ「ペリカン文書」のほうがはるかに面白い。
半年ほど前、アレキサンダーはなぜ殺されたかという、日本人の手によって書かれた評論を読んだことがあった。広島のお医者さんが書いたという本は、毒殺の根拠などを示しながらミステリアスに物語を形成していて面白かった。その味わいを期待してストーンの「アレキサンダー」を見たのだが、壮大な無駄遣い(製作費200億)の映画だった。おそらく、日本でこんな映画を作って失敗すれば再起不能になるのだが、ストーンは不思議と甦ってくる。
アレンの映画は出来不出来がはげしい。「おいしい生活」はアレン自身が登場する。この系統はほとんど駄作。本作品もその例にもれない。
一方、「インテリアー」にはアレンは出演せず監督のみだ。これは最初から期待させた。海辺の家の窓から始まる。映像のしめり具合がいい。外見大きな破綻はない上流階級の者たちにわだかまる破局”願望”のようなものがじりじりと充満していく。そのプロセスの描き方がうまい。海辺の家の映像もいい。日本海のような荒涼とした海が物語の舞台にふさわしい。
アレンの映画には、明らかに70年代の残党と思われる政治人間がよく出て来る。彼はまだ人間の解放ということを諦めていない。反体制の生き方を貫こうとする。こういう存在は最近の日本映画にはほとんど出て来ない。私はアレンのこういうことにこだわっていることに惹かれる。
そういえば、昔、原田芳雄や石橋蓮司などがそういう役どころを演じていたのだが、すっかり好々爺と化した。だって、吉田茂や花嫁のパパを演じるんだぜ、今や。
と休み明けの朝に吼えたところで、仕事モードに戻ろう。今回の番組でいろいろ協力をいただいた出版社や編集者のみなさんにお礼に行くつもりだ。ついでに資料の返却もしておこうと思う。しかし、なんて寒い朝だ。梅雨寒といったところだろうか。
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