
木の間隠れの白い家
村上春樹日和
朝8時。昨日より肌寒い。空には一面の雲がある。ところどころ青空の穴があいているが、全体としてはうす曇の空だ。遠くで犬が鳴いている。台所の水道の音しか聞こえない。もみじ山は休日で静かだ。気まぐれに、子どもが置いていった村上春樹を手にとった。『カンガルー日和』という不思議な小説だが、不思議と頭にすらすら入っていく。短篇集だから、3つほど読むと、目をあげた。カラスがのんびり鳴いている。
本当は、村上春樹のことではなく歌人岡麓のことを書こうと思っていた。明け方、寝床のなかで読んだ中野孝次のエッセーに感銘を受けたからだ。岡はアララギ派の歌人。長く聖心女学院で教えていた。江戸時代から続く御典医の家系だが、岡の代で産を失って没落した。孫が戦死し娘がカリエスの病苦と闘うという悲惨な状況にあって、激することなく淡い短歌を作り続けた人と、中野は解説している。アララギ派には田舎者の頑張り屋が多い中、岡は数少ない江戸っ子の気質を残す人だと芥川龍之介も評価しているそうだ。
つまり、こうだ。岡は短歌を詠むにしても、気張って難しいこと、人生の深遠を詠むわけでなく、淡々と人の世のうつろいを詠むだけだ。「ちょうど眼が覚めると起きるような気持ちで日々をおくる。永年捨てなかった歌のために眠った心がよびおこされる。」
中野もひょんなことから岡の存在を知り、その伝手で岡の研究者、斎藤正二を知る。斎藤は宗教民俗学の学者が本業らしい。30年前に、岡の評論を書いている。当時は評判にもならなかったその論文を中野は一読して、斎藤の鋭さに感服している。斎藤は岡の次の短歌を激賞していた。
遠山のうしろの空にくれて後(のち)も明るくもののあいろ残れり
日没後の残光ないし余照の句節形式を、岡麓は自らの短歌の骨頂とした、と斎藤は岡の本質を射抜いている。《彼岸より来迎する浄土光さながらに、残照のほのあかりは、まさしく、翁の苦境を救済すべくその胸に差しいったにちがいない。》短歌は岡麓にとって救済であった。
昨夕、山道を登りながら、山の端の上空に残る明るさを見て感動した。日がうしなわれても淡き余照がにじむ天空をまことに美しいと思った。その印象がいつまでも私の心に残っていたらしい、岡のことを記した中野孝次の文章に出会って、夕べの空ということから離れ難くなった。
ラジオ歌謡の「山小屋の灯」の一節を口ずさむ。
ゆうべ星のごと みそらに群れとぶよ
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相模灘がかすんでいる

藤の花が美しい

わが大磯の町