涙も汗も失せた映像
かつて映画を撮影するのは35ミリのミッチェルという大きな”機械”であった。操作し移動させることも一仕事であった。所有するのも、映画会社ほどの資金力がなければ不可能だった。
今では、ハイビジョンカメラであれば100万円以下で入手できるし、カメラのレンタルも難しくない。その道具で映画を作ることも可能だ。誰でもやろうと思えば映画製作はできる時代が来た。編集にしてもマックを使えば難しくない。かくて、至る所で映画が製作されるようになったが、大半が上映されることなく、オクラに入るかDVDにしかならないという作品が増えている。万人に映画を作る機会が増えたことは嬉しいのだが、一方で映画に対する熱のようなものがどんどんナクナっていて、安易な映像作品が増えている。
かつてはカメラマンになるにしても、サードから始めてセカンド、チーフ、と経てカメラマンになった。その間、修業は徒弟だった。先輩から無理難題を押し付けられて涙を流し、牛馬のように働いて汗を流した。現代の目から見れば、アナクロな根性路線だが、そういうものが若者のうちに培ったものがあったのだ。汗と涙の結晶という映画、それがだんだん薄れている。
昨日、渋谷ツタヤの六階の喫茶コーナーで、Mプロデューサーと会って打ち合わせをした。その際、現在の映画作りの現場から熱が次第に失われているということを聞かされた。最近の映画は、天候などに左右されるロケ撮影などを嫌って、ほとんどスタジオのブルーバックで撮ることが多くなっているというのだ。所作だけスタジオで撮って、背景の絵は後から合成するという手法だ。つまり、コンピュータ/グラフィックスの効果を多用する映画が増えているのだ。
最近話題になっているゴエモンなんていう映画は、その最たるものだ。
たしかに、雨で撮影ができなくなったなどというリスクは少ない。ドラマの舞台も現実以上に絵を作ることができるだろう。だが、明らかに実際の場で撮影した映像のもつアウラは消滅していくのだ。
「タイタニック」の頃は珍しくそれなりに楽しむこともできたが、現代のように多用されてくると、映像のペラペラ感が気になってしかたがない。ファンタジーならともかく、いわゆる実写ドラマであれば興が薄れる。
今、日本映画の草創期のことを調べている。ちょうど今から100年ほど前のことだ。キネマ旬報が創刊された時代だ。製作者も批評する側も純映画というものを目指して必死だった。面白い記事をみつけた。
日本で最初の撮影所は、目黒の行人坂に出来たそうだ。現在のホリプロあたりに建っていたらしい。次いで、新宿の百人町、向島と作られていくのだ。その頃は映画監督というポジッションはなく、撮影者が演技の指導を行ったとある。先人たちは苦労しながら映像を作っていたんだ。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング