偶感
大磯の行き帰りに、坪内の『四百字十一枚』を面白く読んでいる。世のしがらみをばさっと切る小気味よさに思わず快哉をあげたくなる箇所がずいぶん多い。
1987年、坪内祐三は雑誌「東京人」の編集者をやっていた。今では手塚治虫の特集を組むなど在野性のある雑誌となったが、当時は東京都の肝いりの雑誌で、役人の目線で作られる傾向にあった。そのことに坪内はこう書いている。
《そういう学者系や役人系の筆者の原稿を、私は上司からの押しつけで、いつも担当していた(もちろん学者系でもとても素晴らしい筆者ー例えば建築史の藤森昭信さん―がいたけれど役人系はたいていクズだった)。
たいていクズだった――なんと大胆で小気味いい言葉。
が、他所事と笑ってはいられまい。自分の周辺を顧みれば、この言葉にびりびり感応するような出来事は少なくなく、この言葉は例外でない。
番組制作の道に入って、何年も経とうというのに、まともに一人で作れない者が少なからずいるのだ。企画書は書けない、取材は口先ばかりで実のあるものはない。編集は際限なく続く。
こういうのにかぎって、自分のことを棚にあげて、人の番組批判だけはする。自分の不出来は人のせいにする。人の作った番組のなかへ入ってきて、自分もやったやったと言いたがる。
おそらく、坪内が指摘したような人種と同じなのだ。
まあ、こういう輩は、どこへ行ってもいるには違いない。昨日、TプロのMさんと歓談していて、そういう口先だけのものがどれほど多いか、どれほど表現の妨げになるか、ということを知った。Mさんは日本映画の名作を何本も制作した人物で、香港映画の草創期やハリウッドの経験もある練達のプロデューサーだ。1本の作品を作り上げるのに、どれほど苦難と苦悩があるかということを知らない、映像関係と自称するふてえ輩が業界にはいるということ。話を聞いていて、Mさんのこれまでのご苦労がすこし分かった気がした。
Mさんと今大きな企画を練っている。その取材のために、朝早く山の手のお屋敷に入ってリサーチした。その後のランチで、先の話題でおおいに盛り上がった。
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