ひっそりと
赤塚不二夫の取材をして、心に残る一群の人たちがいた。横田とくおであり横山孝雄で、トキワ荘以前からの赤塚の漫画仲間だ。みんな働きながら漫画を描いていた。中学を卒業してすぐ社会に出た勤労少年である。当時の漫画投稿誌「漫画少年」の住所欄を媒介にして発生したトモガキだったと思われる。横山も横田も漫画の道に進むが、それほど大きな名前とはならず地味な人生を送っている。昔の仲間である赤塚が60年代から80年代にかけて大活躍していくことも陰で喜んではいたが、妬むようなこともない人たちだ。
今月、椎名町にトキワ荘のモニュメントが立てられたとき、横田も参加した。その折にインタビューしたが、昔の友を暖かく語る姿に感動した。この様子は4月26日の午後3時から放送される特番「マンガのタカラ」で見て欲しい。
17歳で上京した赤塚は小松川の化学工場で働いた。かなりハードな肉体労働だったらしい。小柄だったが、逞しい肉体をもつことになった赤塚は仲間には知られていた。なにせ、腕相撲であの梶原一騎を倒したことがあるほどの力持ちだった。町工場で彼がどれほど勤勉に働いたかを彷彿とさせる。
そういう頑健な肉体をもつ一方、赤塚は工員時代から女性にはまめに交際していた。よくもてたのだ。どんな少年だったのか知りたいと思っていた。
今日読んだ「隣の女」(つげ義春)で、これかあと納得する作品「少年」を目にした。メッキ工業所につとめる“少年”義坊は、先輩たちの薫陶を受けて性に目覚める頃をむかえている。自転車修理屋の中学生の娘、貸し本屋の女店員カズ子、その本屋のおばさん、などとちらちら接触する。が、うまくいかず憤懣がたまり、腹いせにネズミをネズミ捕りに入れてメッキ液につけるという毎日。
この義坊がつげの自伝かもしれないが、女性関係の事柄のほとんどは赤塚不二夫に重なる気がしてならない。
というのは、つげ義春と赤塚不二夫は古くからの仲間だったのだ。赤塚が小松川の工場で働いている頃からのマンガ仲間である。貸し本マンガの出版元を最初に紹介してくれたのもつげだったのだ。
先日、私の担当した「全身漫画家~真説・赤塚不二夫論」が放送された後、若い日の赤塚とつげの関係をもっと知りたいという反響がずいぶんあった。おおぜいのファンたちもこの事実に注目している。この二人の出会いは、昭和の漫画史においてもかなり重要だと思うが、そこまで取材を深めるのは教育テレビの予算では困難であった。だが、気になる。
いつか機会があれば取材してみたい。
横田、横山、つげ、…赤塚の無名時代に出会った人たちは、その後もひっそりと生きているが、さまざまな形で姿が残されている。このつつましく貧しく美しく生きた人たちよ。
ところで、番組の予告をしておこう。次の日曜日、4月26日。そろそろ連休に入る頃だが、この日の午後3時から45分、特集「マンガのタカラ」というバラエティが放送される。実は、「ザ・ライバル」の前宣伝のような番組だが、内容は漫画ファン必見のお宝を紹介する。こういう番組を作ることが出来たのも、この3年間につちかってきた少年週刊誌のネットワークのおかげである。ちょっとだけ予告すると、名作の原画が次々に登場するのだ。
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