胸突き八丁
この3年の間で、もっとも多忙な日々が続いている。二つの番組をかかえていて、その維持に必死だ。そういうときにかぎっていろいろなことが起こる。だが、そこから逃げるわけにはいかない。私の今直面しているしんどさなんて、あの獄中の大道寺の苦悩にくらべればずっとたいしたことなどない、そう言いきかせて作業に向かう。
50年間メディアの王様として君臨してきたテレビに、陰りが見えて来ている。2年ほどまえには、新聞雑誌の凋落は語られてもテレビは例外だった。だが、今やそのことは次第に現実化している。ひょっとすると、2011年の地デジ化というのはその大崩落の始まりになるのではと、私は危惧する。
テレビの陰りは、新しいメディアの出現によるということではない。むしろ、自壊作用を起こしているように思えてならない。先日、ゴールデンの時間帯の番組を見ていたときのことだ。どこを回しても同じような内容と同じようなタレントの、おきまりのフォーマットで仕立てられていて、いささか鼻白んだ。
その中に、某老舗局のトークではまだ編集作業を終えていないようなものが、平然と流されていた。つまり、トークの話柄と話柄の間のつなぎがきちんと処理されないまま、安易に笑いの声を流してつないでいるのだ、驚いた。番組内容の質の低下の話どころではない。マナーの問題なのだが、それすら手抜きになっているということに愕然とした。
あまりに番組が感覚的に流れすぎている。テレビのなかの受け応えが、反射神経だけしか見当たらないという状況。もう漫才やお笑い出身の人たちが仕切るトークにはうんざりしてきた。そんなに、気のきいた「セリフ」を即妙に答えることが大事なことなのであろうか。何かの問いかけに対して、口ごもることがみっともないことなのだろうか。
番組が、時間をかけてアイディアを練り、手法を作り出して表現する、というテレビがかつてもっていたチャレンジ精神がもはやほとんどなくなった。かつて、テレビは巨大な好奇心だった。今は、「定番」の作りしかない。
おそらく、当事者自身がいちばん危機感をもっているはずだ。こんなことをしていたら視聴者に飽きられる、離反されていく、と感じているはずだ。だが、当面の視聴率をとらなくては、自分のポジションが危うい。分かってはいるが、内容が定番であれ、安価でそこそこレーティングをとれるタレントを並べて、一定の視聴率を稼ぐことに汲々とせざるをえない。これが実情ではないだろうか。分かっているけど、あり地獄の待ち受けるアナに向かって走り続けるアリのようなものだ。
番組を作るということは、斬新な企画を立てることであり、熱く取材することであり、最善のカタチになるまでどん欲に編集することであるはずだ。だが、それよりも、テレビ番組を作っているという外観だけのお仕事をする人が増えている。自分の番組にもかかわらず、途中から投げ出すというような輩は少なくない。
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