忙しくとも
忙しい。猫の手も借りたいほどだが、誰も力をかしてくれない。でも、この苦境をなんとか乗り切らねば。自分の誇りにかけてもこの難所を乗り越えようと思う。私は30年以上にわたってテレビ番組を作って来た。華やかなテレビの世界でなく、ドキュメンタリーという表現の場に身を置いてきた。その誇り。
たとえ仕事が忙しくて逃げ出したいときだって、自分のなかのあるものは大切にしたい。
なぜだか分からないが、春になると、大学時代の仲間たちを思い出す。
ちあきなおみの歌ではないが、♪明日あなたは 卒業してひとり 遠くの町へ 帰ってしまう という気分が甦ってくるのかもしれない。私の場合は、卒業して出て行く町は金沢だ。
春3月、浅野川に雪解けの水があふれはじめた頃、私はあの町を去って、東京へ出た。爾来40年。異郷にあって、金沢に行くことはあっても住むことはなかった。
私の大学には、地元の石川県の能登と加賀からやって来るだけでなく、隣の福井や富山、遠くは新潟、高山、静岡から学生たちが来ていた。
1年、2年の頃はなかがよかったが、2年の半ば過ぎ、授業料値上げによる大学闘争が起きると、党派性がむき出しになって朋がきは崩れていった。それは卒業まで続いた。私は卒業式にも出なかった。
だから、クラスメートときちんと別れをしないまま今にいたっている。さらに、加えて、大学はそれまでお城のなかにあったものが10年ほど前に移転して、新しいキャンパスとなった。その段階で、いわゆる同窓会の絆は途絶えた。それや、これやで昔の仲間とはまったく疎遠になっている。
現役の頃は仕事に追われて顧みることもなかったことが、今頃になって甦って来る。今朝も、瞑想をしていると、懐かしい名前がぽつりぽつりと浮かんで来た。長野から来ていた玉木くん、大野港の駐在の倅で早死にした川原くん、賢坂辻の電気屋の次男坊だった中川くん、武生から来ていた竹村くん、若狭小浜から来ていた早川くん、掛下くん、片岡くん、古川くん・・・
次々に名前が出て来る。名前は忘れたが、顔だけ思い浮かべる人たちもいる。
不思議だ。40年も会っていないから、当然、その人たちの生涯もいろいろあったにちがいない。ひょっとすると、このなかの何人かは死んでいるかもしれない。少なくとも、還暦をむかえた顔など思い浮かべることはない、できない。
もし、仮に再会したところで、おそらく30分と話はもたないだろう。歩いて来た道が違えば、共通の話題も少なく、互いの境涯を知るだけかもしれない。昔話をしようにも、大学闘争の辛いことしかないから触れたくもないし。
と分かっているくせに、昔の友だちの名前を思い出しながら、じっとかかえこんでいる何かが、私のなかにある。
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