わが心のアルカディア
牧星加藤謙一の自伝を読んだ。戦前の名雑誌『少年倶楽部』の編集長である。戦後は公職追放となり、個人で『漫画少年』を立ち上げ、手塚治虫を見いだし、寺田ヒロオや石森章太郎らを育てた人物でもある。
講談社から発行された『少年倶楽部』は、戦前軍国主義に協力したとして”戦犯”扱いとなり、社長の野間省一とともに加藤も職を追われた。が、実際には罪は疑いの段階でとどまり早期に追放は解除されている。
「敵中横断三百里」などという軍事小説が評判をとり「のらくろ」のような兵隊漫画が人気を集めたという表層だけみれば、そういう「罪」があったようにみえても不思議ではない。が、それは時代がもっていた気分や情勢がそうであったことに起因するのであって、ことさら『少年倶楽部』が軍国主義の旗を振ったというのは言いすぎかなと、牧星の本を読んで思った。例えば、「のらくろ」。これは駄目な野良犬がイヌの軍隊に入って功績を挙げて、一年ごとに進級していくという物語ではあるが、実際には軍部からにらまれており、戦争が始まる昭和16年には突然終了させられている、というようなことがあるのだ。むろん、戦争協力という問題は軽々には語れない。だが、戦後民主主義はあまりに一面的に捕らえすぎていたのかと思うことが最近多い。
『少年倶楽部』の傑作は、吉川英治の「神州天馬侠」、佐藤紅碌の「ああ玉杯に花うけて」と大仏次郎の物語だ。加えて、佐々木邦のユーモア小説があった。この雑誌の素晴らしいのは物語をサポートする挿絵だ。高畠華宵、伊藤彦造、樺島勝一ら一流の画伯が筆をとっていた。
山中峯太郎の「敵中横断三百里」や南洋一郎が書いた「吼えろ密林」などの冒険小説における樺島の絵などは出色だった。まるで映画のような精緻な表現と美しい構図である。当時の少年たちの空想心をおおいに刺激したと推測される。
物語の挿絵だけでなく、口絵もたくさん描かれた。いろりばたでの団欒や春の野路を子馬に乗って帰る少年といった光景がある。これらは、”少年時代”という牧歌的な気分を思い起こさせる原イメージ(この表現は好きではないが、他に思いつかないので)として、私のなかにある。
今朝、早春のツヴァイク道を降りながら味わった気分。その原形のようなものは、戦前の『少年倶楽部』から戦後の『少年サンデー』『少年マガジン』へとつながっていく少年誌の系譜にあるのかなと思った。幾重にも折れ曲がる山道、亭々たるケヤキの美しい枝ぶり、足元に咲くたんぽぽ、すみれ。森の奥から聞こえて来る鳥の声、重なるように鶯の声。峰を振り仰げば悠々と流れていく白い雲。
この風景を目の当たりにしながら、いつか見た景色だと思い出そうとしていた。おそらく、それは営々と伝えられてきた日本人としてのイメージではないかな。それを構築している要素として、『少年倶楽部』があったと思ってしまうのだが。
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