イタリアの旅4 ユーロスターに揺られて
10時37分、フィレンツェ発ボローニャ経由ベネツィア行きに乗った。特急で全席指定だから安心だ。ほぼ定刻に列車はホームを離れた。フィレンツェの町が小雨に煙っている。ボックス席の窓際に座ったから撮影するのにちょうどいい。遠ざかる町をファインダー越しに眺めた。
列車はどうやらイタリア半島の脊梁を横切っていくようだ。ずっと山間地が続く。景色が単調となる。さらにトンネルも多い。見るものがほとんどない。
今離れてきたフィレンツェのことを考える。15世紀から16世紀にかけて、あの小さな町に世紀に一人か二人という大天才が二桁の数で出現したという事実をどう考えたらいいのだろうか。超越した存在からの思し召しというものなのだろうか。それとも超越した働きとしての歴史がなせる業なのだろうか。二十世紀にバルセロナの町がピカソやダリという天才を生んだことがあったが、15世紀フィレンツェの場合、その数十倍の規模で歴史を動かす人々を輩出している。そういえば、アテネ全盛の頃にはソクラテス、プラトン、アリストテレスという逸材が多少の時間のずれを含みながらあったという事実。歴史的な人物というのはグループで登場することがあるような気がしてならない。
ギリシア文明の上にローマ文化が重なり、さらにキリスト教文明が1000年も覆いかぶさっていた中世。その権力が腐乱して瘡蓋のようになっている状態を突き崩すように、フィレンツェのリベラルな精神が動き出した。なぜ、そんなことが可能になったのか。ある人は先駆けとして聖フランチェスコの「清貧」という考えに注目していたが、いささか文学的過ぎないのではないか。通商による富の蓄積、ローマとはやや離れた地政学的位置。いろいろなファクターが奇しくも縒り合わさって、ルネサンスの曙を準備していったと思う。
文学といえばダンテの出現が大きい。『神曲』でも大きな動機となる永遠の女性ベアトリーチェとの出会い。それは、あのアルノ川に架かるベッキオ橋の上でのことであったという。昨日もその橋を渡ったが、そういう感慨はまったく起きない、金儲けの本位の宝石屋が軒を連ねる家橋に過ぎなかった。が、500年前には歴史を動かす大舞台であったのだ。
戦後、特に80年代以降は海外渡航が楽になったので、若い研究者たちが現地で学んで積み上げたルネサンス論が主軸なっているが、私たちの時代であれば、下村寅太郎や杉浦明平、花田清輝のルネサンス理論が懐かしい。帰国したら、花田の『復興期の精神』と辻邦生の『春の戴冠』を読んでみようかなと考えていたら、そろそろボローニャが近づいたようだ。隣に座っていた学生らしい若者が降りる仕度をしている。この都には世界でも最古の大学があったのだなと気づく。
それからユーロスターはパドヴァに停車して、アドリア海が見えるところまで突っ走った。終点の一つ手前メストレ駅では、日本人の学生たちがぞろぞろ降りていく。どうやら、”貧乏旅行”の学生たちの定宿は、ベネツィア島ではなく本土側にあるようだ。
メストレを出ると島に向かって長い鉄橋が続く。行く手に雨にかすむベネツィアがだんだん大きくなってくる。やがて、終着駅サンタ・ルチア駅に13時30分到着。降りた号車で待っていると、JTBの現地スタッフがやってきて、海上タクシーまで案内してくれる。
そこから大運河(カナル・グランド)を利用してサン・マルコ地区に向かう。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング