イタリアの旅3 フィレンツェ2日目
歴史とは歴死でもある、とあらためてこのフィレンツェで思う。未明に今年の正月に亡くなった小高くんの夢をみた。病で激痩せする少しまえの彼の姿で現れた。詳細は書かないが、彼は亡くなった朋友たちのために自分も進んで仲間入りしなくてはならないと、目に涙を浮かべて訴えていた。私は思わず、「君のせいじゃないのだから、そんなに自分を責めることはないよ」と彼を抱きとめながら叫ぶ、という夢だった。
昨日は半日ウフッツイ美術館にいた。レオナルド、ラファエロ、ポッチチェルリ、ポントルモ、ヴァザーリなど素晴らしい文藝復興期の作品を心ゆくまで見た。休館日の翌日である火曜日ということもあって、会場は団体客を中心にごったがえしていたが、それは「春」や「受胎告知」など知られた作品の前だけであって、マニエリスムの作品やリッピの画の前はまばらで急かされることもなく、画を間近で味わうことができた。外は冷たい雨が降っている。それにしても祭壇画というのはなんと多くの血が流れていることか。キリスト磔刑、聖セバスチャンの殉教など死が真正面から描かれている。
3時過ぎ、美術館を出て、アルノ川対岸の丘にあるミケランジェロ公園へ向かうが、雨脚がつよく途中から引き返す。傘を差していてもトレンチコートの中まで雨がしみてきたので、ベッキオ橋たもとのカフェに入る。熱いペパーミントティを呑む。ひとまずホテルに帰って着替えをすることにした。
4時にマフラーを巻いて再び外出。橋のそばのサンタ・トリニタ教会を見学に行く。それまで、どの教会へ行っても拝観料をとられていたが、ここでは無料で、数人の信者さんたちがお祈りをしていた。それからドオーモのほうへぶらぶら歩く。中世さながらの石の家の町を歩いていると、住宅のなかに教会があり、扉を開けた。簡素なゴシックの教会であった。蝋燭の灯がゆらゆらと揺れるのなかに、磔になったキリストの像が上から垂れている。御堂のなかにも夕闇が迫っていて薄暗く、椅子に座って祭壇をじっと見る。
小さな教会を出て、そのファサ―ドを撮影していたら、隣に洒落た店があり中に入る。オリーブ油の専門店だった。めがねをかけた気の良さそうな主人が試飲をすすめてくれるので、口にふくむとうまい。お勧めのトスカーナという銘柄のオリーブオイルをカードで買う。レジ側の壁を見ると、日本のファッション誌の記事が幾枚も貼ってある。どうやら、ここは日本のファンにも知られた店のようだった。
小雨の路地を帰りながら、この町のなかに沈みこんでいる死を感じた。メディチ家をめぐる確執、ペスト、ミケランジェロの追放、サボナローラの焚刑・・・。ルネサンスの栄光の影におおくの苦悩があったということを、町の静まりから感じとることとなった。そこで「歴死」である。人々の累々たる死が重なって、歴史(死)というものはあるのだなと、当然のことを発見した。
小高ちゃんのことを夢見たのは、そういう死を考えていたからだろうか。それはあまりに短絡に過ぎるとも思えるし。そういえば昨日入った考古美術館の番外に、以前私が見た原型的な夢そのものを表すブロンズ像に出会ったのには仰天した。
2日目の写真14枚。ビデオ撮影4分半。
追:3日目の朝である。本日9時55分の電車でベネツィアに向かう予定。
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