お家に一直線
湘南ホームライナー、7時半に乗って大磯へ向かっている。朝からの雨も上がり、気持ちのいい夜半だ。電車に乗る前に東急本店の地下でうなぎ弁当とグラッパ「ポリ」を買っておいた。イタリアの強い酒グラッパのポケット瓶である。ホームライナーという呼び名はお家に一直線という意味から付けたのだろう。
さて、電車に乗ると、やおら弁当を広げ、酒を口にして、読書となる。今夜、読むのは赤塚不二夫本とトキワ荘本だ。このところ、私はすっかりトキワ荘の伝説の漫画家たちに心を奪われている。とにかく、登場する人物の誰もいい。寺田ヒロオ、藤子不二雄の二人、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、鈴木伸一、森安なおや、水野英子・・・。信じられないほど善意の若者たちだ。そこで育まれた友情、同士愛、トモガキは何度読み返してもジンと来るものがある。名編集者丸山昭曰く、「トキワ荘はいわば旧制高校の寮生活のようなものであった。メンバーはここで人生を知り、漫画というものを学んだのだ」
トキワ荘には手塚治虫が住んでいるという噂が、トキワ荘がある椎名町界隈には広がっていた。近所の少年たちは手塚のサインが欲しいと、トキワ荘にこぞって出掛けた。現在、お米屋を営んでいるYさんも、当時中学一年生で、トキワ荘に出掛けた一人だ。
トキワ荘のみしみし言う階段を上がって、2階でキョロキョロしていたら、色の白い青年が声をかけてくれた。
「どこに行きたいの」。手塚治虫さんと答えると、その青年は「先生は、もうここにはいないよ。サインが欲しいなら書いてあげようか」といった。
その青年に導かれて、ある部屋の中に入ると、もう一人小太りのベレー帽をかぶった人が寝ていた。
「おい、石森。この子達にサインしてあげようよ」と色の白い青年が言うと、ベレー帽はのそのそおきてきてサインした。ネズミのキャラクターを描いてくれた。
色の白い青年は、いたずらっ子が寝転ぶ姿の漫画を描いて、その色紙に「ナマちゃん」と書き添えてくれた。少年Yは、今も、そのときに描いてもらった赤塚の漫画を大事に取って保管している。色の白い優しい青年が、今おもえば赤塚不二夫だったのだと、Y少年は還暦を過ぎた今になって感動している。
Y少年は当時中学一年生になっていたが、小学校の頃、よくトキワ荘の敷地のなかへ遊びに入った。庭先に使い古したようなGペンが落ちていたのだ。それを拾って学校へ持って行くと、クラスメートに自慢できた。それはいいけど、トキワ荘の評判は悪かった。というのは深夜遅くまで騒いだりおしゃべりしていることが絶えなかったのだ。近所から「うるさーい、今何時だと思っているのだ」と怒鳴る声が聞こえた、そうだ。
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